ティパザ遺跡の歴史と見どころ
ティパザ遺跡とは
ティパザに足を踏み入れると、地中海沿岸の宝石のようなロケーションがすぐにわかります。砂浜と松林、ゆるやかな丘陵に囲まれ、ターコイズブルーの海が背景となり、何層にも重なる歴史が黄金の遺構として海岸の崖にそびえ立ちます。
歴史の概観
紀元前6世紀から紀元後6世紀にかけて数度にわたり支配が変わったティパザは、当初カルタゴのフェニキア人が築いた交易拠点でした。ギリシャ、イタリア、イベリア半島と商品をやり取りする港として栄えましたが、長くは続きませんでした。
その後、ローマ、初期キリスト教徒、ビザンティン帝国が交代で支配し、各勢力が交易所や征服の拠点として利用しました。
遺構の見どころ
敷地内を歩くと、以下のような多彩な遺構が点在しています。
- プニック式墓地(広大な古代墓地)
- 古代トイレ
- 闘技場(格闘士の戦いや海戦の再現が行われた)
- 第二の劇場(娯楽はひとつでは足りない)
- キリスト教複合施設(温浴施設、バシリカ、墓)
- かつて賑わった街の中心通りが海へと続く様子
ローマ支配下では、遊牧部族から都市を守るための防壁が築かれ、北アフリカの道路網の要所としても機能しました。
キリスト教が広がると、グレート・バシリカやバシリカ・アレクサンドリスなどの聖堂が建設され、東側の住民向けにサルサ聖堂も設けられました。
また、先住民族の象徴的な遺構として、ベルベル王ジュバ2世とクレオパトラ・セレーネ2世(マルクス・アントニウスの娘)の王墓クボール・エル・ルーミアがあります。
衰退と現在
429年にヴァンダル王フネリクが侵攻しカトリック信者を迫害したことが大きな転機となり、残された住民はスペインへ逃れました。その後、ビザンティン帝国が6世紀に再建を試みましたが、やがて廃墟と化しました。
ユネスコはティパザ遺跡を「マグレブで最も卓越した考古学複合体」の一つと評価しています。訪れる際は、クスクスを味わいながら散策すると一層楽しめます。
訪問前の注意点
アルジェからティパザ考古公園までのドライブは約74km(45マイル)です。途中で王墓クボール・エル・ルーミアを訪れると、さらに距離が伸びます。ツアーに参加すれば、事前に練られた解説が受けられますし、単独で訪れる場合は現地の管理人が無料で歴史の解説をしてくれることもあります。なお、古代遺跡は「Tipasa」(s)で表記されますが、現代の町名は「Tipaza」(z)です。




