空港と飛行機が好きな私の物語
Eve Epsteinは旅行に対して愛憎が交錯する関係にありますが、空港と飛行機に対しては純粋な愛情を抱いています。本稿は、彼女がどこへでも行きたくなる新シリーズの第一回です。たとえリモコンで旅をするだけでも。
旅行が苦手な理由
新しい場所、時差、荷物、B&Bでの友人作り、歩くこと、学ぶこと、探検、道案内、ローカルカラー、不可解な慣習、見慣れない公共交通機関、為替レート、海外でのチップ文化、レンタサイクル、ローマにいるときの格言、国際変換プラグ、時差ぼけ… これらすべてが私の旅行への抵抗感です。
自分だけがこんなに不安を抱いているのかもしれませんが、決して「かっこつけている」わけではありません。私の周囲の人は、私が常に前向きで明るい性格を保とうと努力していることは知っています。しかしその裏側には、好奇心に欠けた弱々しい自分が潜んでいます。まさに、旅行を楽しめないタイプです。
好きなものは空港と飛行機
実は、旅行が嫌いな私が好きなのは空港です。本当にです。空港と飛行機の、文化が希薄で食べ物が溢れ、乗客同士が互いに無関心であるという空気、機内エンタメ、ミニサイズの酒類、免税店の「法外な自由感」、Dog the Hoarding Bounty Hunterを連続で観られる余裕、座るかリクライニングするか以外にやることがほとんどない点、そして何より匿名性です。まるで地理もアイデンティティも存在しない場所にいるような感覚です。
人類学者ヴィクター・ターナーはこの状態を「リミナリティ(境界的空間)」と呼びました。祭りや通過儀礼で社会的階層や慣習が一時的に取り払われ、個人のアイデンティティが保留される瞬間です。空港はまさに、文化・時間・空間から解き放たれた「間」の領域です。人はそこにスリルを感じ、時に極端な行動に走りますが、私の場合は単に空港と飛行機を楽しんでいるだけです。
無国籍感がくすぐる快感
空港の統一されたサイン、量産されたフード、エンタメ、家具、床、照明はすべてが同質化され、誰もが同じ立場に置かれる感覚を与えてくれます。これが私にとっての「どこでもない」感覚です。
たとえば、9月にロサンゼルスからテルアビブへ向かう途中、イスタンブールのアタテュルク国際空港で13時間の乗り継ぎをしました。イスタンブールならではの豊かな文化や夜の彩りを体験できるはずでしたが、私は……
いや、しませんでした。
空港内の高価なホテルにすぐチェックインし、窓が実はフロストガラスの壁だったり、トルコらしさがまったく感じられないミニバーにLay'sチップスやNature Valleyのグラノーラが入っていたりする「無個性」さをむしろ歓迎しました。ベージュのインテリアに囲まれ、ミニシャンプーさえも同じメッセージを送ります――「まだどこにも着いていない、まだ旅の途中だ」――そのまま八時間寝てしまいました。

右側の著者です。笑顔は本物です。
イスラエルでの対比
数日後、イスラエルでデッドシーへ向かう車中、私は「人混み」「リクライニングできない座席」「エアコンの不調」など不快要素を頭に思い描きました。イスタンブールでの快適さと比べて、どれだけ劣っているかを不機嫌に嘆きました。
しかし、死海の塩分濃度が高い水面に足を浸した瞬間、まるでCGIのように光る岩と、生命がほとんど存在しない粘り気のある水に囲まれ、私の感覚は不本意ながらも「リミナリティ」だと認めざるを得ませんでした。普段の枠組みを超えた場所・時間・瞬間が持つ力を否定できなかったのです。
帰路の車中、私はカトリーヌ・ハイグの映画『Life as We Know It』を見ることにしましたが、結果は大失敗。そんなときは無料のシャンパーニュが救ってくれます。




