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ヨルダン最激戦サッカーライバルの裏側

世界的なスーパースターではないものの、ヨルダンの名門クラブ、アル・ウェハダットとアル・ファイサリーは中東でも屈指の熱狂的ライバル関係を築いている。アル・ウェハダットはアンマン南東部の難民キャンプで誕生し、パレスチナ系ディアスポラの象徴。一方、アル・ファイサリーは国内最多のタイトルを誇り、ヨルダン川東岸(イーストバンク)出身者の誇りを体現している。この一戦は、地域の政治とアイデンティティが交錯する生々しい光景を提供してくれる。

ヨルダン最激戦サッカーライバルの裏側

キックオフ数時間前、銀色の車が緑のアル・ウェハダット旗を窓から揺らしながら猛暑の中を走り去る。アンマンのカフェで試合を観戦しようと集まる人々を横目に、私はタクシーで南東へ向かい、夕焼けに染まるピンク色の丘陵地帯を抜けた。

キング・アブドゥラ2世スタジアムに到着すると、入口には装甲車が並び、カモフラージュ姿の警備員がチケットとバッグをチェックし、写真撮影を厳しく制限していた。

ヨルダン最激戦サッカーライバルの裏側

対立の歴史

試合前に配備された防暴警官は、この対戦がいかに揮発性の高いものかを物語っている。2009年には暴動で試合が中止され、2010年にはフェンス崩落で250人以上が負傷したこともある。これらの衝突は、ヨルダンとパレスチナの関係を映し出す鏡でもある。

アル・ウェハダットは1956年、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が1948年以降の難民流入に対応して設立したクラブで、パレスチナ人の誇りを象徴している。一方、最多タイトルを誇るアル・ファイサリーはヨルダン川東岸出身者の支持を受けている。

ヨルダン最激戦サッカーライバルの裏側

この対立は、1970年代の『ブラックセプテンバー』事件――PLOとヨルダン軍の衝突で数千人が死亡した時期にピークを迎えた。現在、ヨルダン人口の約半数がパレスチナ系の血を引くため、試合はアイデンティティ争いの舞台となっている。

応援歌は今も鋭く、アル・ファイサリー側はパレスチナ生まれのラニア皇后を嘲笑し、アル・ウェハダット側は『アッラー、ウェハダット、アラブエルサレム』と唱える。2017年には差別的な掛け声が問題視され、ヨルダンサッカー協会が観客の入場を禁止したこともある。米国大使館がWikiLeaksで注目したほど、緊張感は高い。

ヨルダン最激戦サッカーライバルの裏側

キックオフの熱気

渋滞で遅れて到着した私はセキュリティチェックを受け、スタジアムの側面へと案内された。13,000人収容の会場は、パレスチナ側の緑・白・赤の旗が波打ち、アル・ファイサリー側は空色のユニフォームで挑戦的に歌い上げていた。

暖かな夜風が選手たちの激しいプレーをさらに盛り上げ、警官は観客とピッチの間にバリケードを設置した。タックルの衝撃やヘディングの瞬間が間近に感じられた。

アル・ウェハダットのウルトラは粗い掛け声でファイサリー側を挑発したが、緑のジャージを着たフレンドリーなファンが私たちと一緒に歌い、敵意は感じられなかった。

ヨルダン最激戦サッカーライバルの裏側

私が座ったJD4(約5.5米ドル)の『ファーストクラス』席は、家族連れに適した雰囲気で、女性や子どもも多く見られた。緑のユニフォームを着た少年が夢中で応援し、茶屋の店員がスタジアム内を巡回していた。

試合中盤、観客はマグリブの祈りを捧げ、プレーが止まると同時に歓声が上がり、ファイサリーのフリーキックが決まると土埃が舞い上がった。

ヨルダン最激戦サッカーライバルの裏側

『ミスは許さない』

ハーフタイムは0-0のまま。喫煙者が『アル・ウェハダットSC、チャンピオンズクラブ』のリボンを私に結んでくれ、プレミアリーグやパレスチナの話で盛り上がった。

後半開始と同時に相手スタンドが『ミスは許さない』のバナーを掲げ、観客は腕を組んで一斉にジャンプ。私も自然と参加した。

周囲は温かく迎えてくれ、写真撮影のプロがグループショットを撮るほどだった。

ヨルダン最激戦サッカーライバルの裏側

試合は緊張感が高まるばかり。得点が出ずフラストレーションが募り、ミッドフィールダー同士の乱闘がカメラのフラッシュを浴びた。

アル・ウェハダットの最後のチャンスはミスに終わり、ストライカーは失望の表情とともに観客からのブーイングを浴びた。

フルタイム

試合終了間際の88分、結果は0-0。選手同士の衝突、ベンチからの介入、観客の投げつけられた物が散乱した。

国内リーグの選手はピッチ外で別の活動をしているが、ウェハダットのサポーターにとってはキャンプで育った仲間同士のアイデンティティ争い。その熱は今も続く。

タクシーで駅の高台へ戻ると、スタジアムの照明が徐々に暗くなり、観客は散っていった。

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観戦のポイント

チケットは試合前日または当日にスタジアム窓口で購入。JD3(約4.2米ドル)で一般席、JD4(約5.6米ドル)でファーストクラス、VIPはJD10。スケジュールは公式サイトで確認できる。

試合は感情が高ぶりやすいため、早めに退場できるよう余裕を持ち、チームカラー(ウェハダットは緑・白・赤、ファイサリーは空色)を身に着けないこと。アル・クウェイスメは保守的な地区で、特に女性は注目を浴びやすい。アルコールは提供されない。タクシー料金は約5米ドルで、渋滞を見越した時間の余裕を確保しよう。

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