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セブン・ガーブルズの家の歴史と保存活動

セブン・ガーブルズの家の歴史と保存活動

概要

セブン・ガーブルズの家(旧称:ターナー=インガーソル邸)は、1668年にジョン・ターナー船長(John Turner I)によって建てられました。当初は「ターナー邸」と呼ばれ、後にナサニエル・ホーソーンが同名小説を発表したことで現在の名前が定着しました。

海運貿易と建築の変遷

ターナー家は海上貿易で巨万の富を築き、その財産が邸宅の豪華な増改築を可能にしました。ジョン・ターナーⅠの成功により、最初の二つの増築が行われ、現在のガイドツアーでもその箇所が指し示されます。

次代のジョン・ターナーⅡはさらに財を蓄え、邸宅をジョージアン様式に改装しました。客間、広間、食堂の壁面には木製パネルが施され、全室に現代的な塗装が施され、17世紀の天井梁は木枠で覆われました。

インガーソル家の時代(1792–1804)

1792年、サレムの裕福な海船長サミュエル・インガーソルがこの邸宅を購入し、連邦様式に合わせて四つのガーブル(屋根の切妻)を取り除きました。

1804年のインガーソルの死後、娘のスザンナ・インガーソルが相続。スザンナはホーソーンの従兄妹で、彼女との交流が小説『七つのガーブルの家』のインスピレーションとなりました。

その後の所有者と経営

スザンナは邸宅で自らの事業を営みましたが、1879年に息子ホレースが債権者に家を失いました。その後、アップトン家が購入し、初めて一般公開ツアーを実施しました。

保存活動と現在

アップトン家がサレム・ウィロウ近くへ移転した際、慈善家で保存活動家のキャロライン・エマートンが購入。エマートンは「セブン・ガーブルズ・セトルメント協会」を設立し、移民家族の支援拠点として活用しました。保存建築家ジョセフ・エベレット・チャンドラーと共に、邸宅は当時の姿に復元され、ツアーの収益は協会のミッションに充てられました。

見学情報

セブン・ガーブルズの家は、サレム観光のハイライトです。ツアーや庭園の散策を通じて、歴史と建築美を体感してください。営業時間や予約は公式サイト 7gables.org をご確認ください。


トラベルノート
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