セーラム市の印章
印章のデザインと意味
セーラム市印章は、1692年の魔女裁判とは無関係で、同市のスパイス貿易の歴史を象徴しています。鮮やかな衣装を纏った商人がヤシの木のある島に立ち、背景には帆を張った船が描かれています。この商人はセーラムの商人ではなく、スパイス貿易が始まったスマトラの地元商人を表しています。
印章下部のラテン語 “Divitis Indiae usque sinum” は「豊かな東方の最果ての港へ」という意味です。上部にはオリーブ枝をくわえた鳩が配置され、セーラムが「平和の街(City of Peace)」であることを示しています。また、1626年(町の設立)と1836年(市への昇格)の2つの年号が記されています。
スパイス貿易の始まり
セーラムのスパイス貿易は、キャプテン・ジョナサン・カーンズがスマトラから大量の胡椒を米国に持ち帰ったことに端を発します。1793年、カーンズはスマトラ沿岸に野生の胡椒が豊富にあることを知り、情報を叔父であるセーラム商人ジョナサン・ピールにだけ伝えました。ピールはすぐに帆船ラジャー号を手配し、胡椒の輸入と販売を支援しました。

1797年、ラジャー号はスマトラから胡椒を積んで帰港しました。当時の胡椒は料理の調味料としてだけでなく、防腐効果が高く肉の保存にも利用されていました。貨物の価値は当時約12万5千ドルで、現在の価値に換算すると約150万ドルに相当します。
セーラムの繁栄
その後約50年間、世界各国で使用された胡椒の大半がセーラム港を経由しました。19世紀初頭までに、セーラムは米国で一人当たり最も裕福な都市となり、貿易品は胡椒だけでなく、茶葉、絹、磁器など東インド諸国や中国との取引へと拡大しました。スマトラ胡椒航海は、セーラムが国際貿易へ本格的に踏み出すきっかけとなった重要な出来事です。
印章の制定と使用
印章は1839年にジョージ・ピーボディがデザインを委託して作られました。ピーボディはセーラムの有力胡椒商人の子孫であり、船主でもありました。彼はセーラムの風景ではなく、胡椒貿易の起点であるスマトラの商人を象徴的に描くことを選びました。
以降、印章は市の公式文書や記録に使用されてきました。市の業務以外で印章を使用することは州法および地方条例で禁じられています。現在、銅製の印章プレートが市庁舎の市長室受付に展示されており、将来的には新市庁舎付属棟(ワシントン通り90番地)の外壁にも掲げる計画です。




