今週のポラロイド:ベルリンの壁
この厳しいコンクリートの壁は、29年間にわたりベルリン市民の生活を脅かし続け、街を二分しました。統一後は多くが速やかに取り壊されましたが、東側ギャラリー(East Side Gallery)をはじめとする重要な残存部分は今も残り、巨大な屋外壁画として訪れる人々に衝撃的なストリートアートを披露しています。他にも保存された区画は、当時の姿をほぼそのまま保ち続けています。壁の崩壊は私たち夫婦にとって特別な意味を持ちます。かつての東ドイツ(旧GDR)とアメリカ出身という異なる背景を持つ二人が出会えるきっかけとなり、現在の国際的な移動の自由さと、当時の厳しい出入国制限との対比を実感させてくれました。
ベルリンの壁の歴史と急速な建設
アメリカ出身のJessが現地で実感したことの一つは、壁がいかに突然に築かれたかという点です。第二次世界大戦後、ベルリンは東西に分かれたものの、境界は流動的で、東ドイツに囲まれた西ベルリンは家族訪問や通勤が自由に行われていました。しかし、西側は米国やフランスからの援助で経済的に急成長し、東側は経済的困窮と自由の制限が深刻化していました。1950年代に多数の脱走が起こったことから、東ドイツは1961年8月12日から13日にかけて一夜にして壁を建設しました。その結果、家族は目覚めた瞬間に引き離され、通勤路は遮断され、電話回線も切断されました。
壁の影響と崩壊までの軌跡
以後、壁を越えようとする試みは投獄や死亡というリスクを伴いました。この全長約100マイル(約160キロメートル)の障壁は、東ベルリン市民を29年間孤立させましたが、1989年11月9日の開放により一気に壁は崩壊しました。翌年1990年10月3日にはドイツ統一が正式に宣言され、東西ドイツは再び一つの国となりました。




