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スペインのおもてなし:マドリードで出会った家族とセビリアでの語学体験

マドリードの家族との出会い

数年前、イタリア・チェコ・オランダ・スペインを巡る2か月の単独旅の途中、シチリアからスペインへ向かう便で、マドリード出身の6人家族と出会いました。乗り継ぎ時のイタリア語アナウンスに戸惑う私を見かねた彼らは、次のフライトで私と同じ座席に座るよう声をかけ、さらにマドリードの地下鉄を一人で乗りこなすよりも、彼らの娘の一人として面倒を見てくれと申し出てくれました。

彼らは自宅まで案内し、私が予定していたセビリアへの1週間の滞在に向けて、長女と次女が駅まで車で送ってくれました。出発前に母親のベルタが電話番号を渡し、マドリードに戻ったらぜひ泊まってほしいと熱心に誘ってくれました。その温かさに胸がいっぱいになりました。

スペインの教育と語学力

空港へ向かう途中、娘たちの多言語能力に驚きました。スペインの教育制度では小学校から3つの言語を学び、高校卒業時には英語・スペイン語・ドイツ語を流暢に話せるようになります。25歳の私が第二言語をまだ習得中だったことを思い出し、彼女たちの語学力に感嘆せざるを得ませんでした。

セビリアでの語学コース

その話を聞き、セビリアのドン・キホーテ語学学校で1週間の集中スペイン語コースに参加することにしました。高校や大学の授業から離れた久々の学び直しは、流暢になるまでには至りませんでしたが、クラスメートの2人のルームメイトと仲良くなり、毎日の通学で道に迷うたびに現地の人々が親切に道案内してくれました。速いペースのスペイン語に苦戦しながらも、現地の雰囲気をたっぷり吸収できました。

再会とディナー

セビリアからマドリードへ戻る電車の中ですぐにベルタに電話し、迎えに来てもらう手配をしました。広々としたアパートのゲストルームに案内され、夜のディナーパーティーに招かれました。参加者は教師や弁護士、政治に詳しい大人たちで、約10名が集まりました。

ワインを片手に3回にわたる速い会話が続くと、私は「Por favor, hableme un poco más despacio(もう少しゆっくり話してください)」と何度もお願いしました。やがて友人たちは英語に切り替え、笑い声と活気に満ちた時間が流れました。スペイン人の「人生を祝う」姿勢がひしひしと伝わりました。

娘たちが用意した5コースの手作り料理は、トマトのガスパチョ、フレッシュブレッド、様々な肉、オリーブ、シーフード、そしてたっぷりの赤ワイン。レストランの料理をはるかに超える本格的な地中海料理に、味覚が大きく刺激されました。

感想と今後のつながり

翌朝のゆったりした朝食の間に、私は心から感謝の言葉を伝えました。アメリカでは見かけない「見知らぬ人を受け入れる」行為が、彼らにとっては自然だったことに驚きました。この経験は、ヨーロッパの人々が持つ高い信頼感を実感させてくれました。

帰国後もベルタ一家とは連絡を取り続け、感謝の品を送っています。いつでもアメリカへ招待したいと伝え、再び会える日を楽しみにしています。

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