なぜ私たちは旅をするのか

朝の4時、目覚まし時計がしつこく鳴り、眠りから私を引きずり出した。目は腫れ、血走って窓の外を見ると、暗闇しかなかった。
一瞬、これは残酷な夢だと錯覚した。やがて体を起こすと、ジッパーが閉まったリュックが目の前にあり、すぐに持ち上げられるのを待っていた。ちょうど1時間後に次の列車に乗ることに気付いた。
「なぜ私たちは旅をするのか」――自然に浮かんだ疑問だった。半分眠り、疲れ切っていた私は、むしろ寝てこの列車を逃したい気持ちだった。行き先は特別な場所でもなく、故郷でもない。北東インドへ向かう途中で、次の目的地であるバラナシの街はまだ先の話だった。

なぜ私たちは旅をするのか
街灯のオレンジ色の光の下で、電車やタクシーを待ち、コーヒーすら飲めない時間が続く――そこに楽しさはない。列車が1時間後に出発することを知りながら、眠そうにうめき声を上げるのも楽しくない。それでも、私たちは飛行機やタクシーに乗り込み、ますます多くの人々とともに移動している。
時には、仕事の呼び出しや結婚式に出席するためといった、避けられない理由で旅をすることもある。
しかし、ほとんどの旅は必然ではない。私たちが選んだのは、ただ「行きたい」からだ。
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昔と違い、現代の都市生活は精神的に疲弊しやすい。何かを手に入れようとするプレッシャーが増す一方で、友人たちは仕事や家庭に追われ、遠くのヒマラヤの隅っこで鳥が自由に飛び回るように、心も解き放ちたいと願っている。
「人生の問題を単純化し、必要なものと本当に必要なものを見極めよ。自分の根がどこにあるかを探せ。事実に立つべきだ」ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
彼らは「広い空間が恋しい」と言う。日常から抜け出し、デリーからマナリへ向かうような同じルートでも、旅は唯一の解決策に思える。

旅は人間の根源的な欲求だ。私たちは移動性の高い種族であり、たとえジェット燃料とGoogleマップに導かれたとしても、道に迷う喜びを忘れない。旅は自己成長の手段であり、書籍やドキュメンタリーでは得られない経験をもたらす。
異文化に触れ、現地の人と食事を共にしたり祭りに参加したりすることで、世界への視野が広がる。だからこそ、旅は人として成長するために不可欠なのだ。

昨年、ナガランドのモン地区で部族の人々と交流する機会を得た。政府の福祉事業に従事していた友人の情熱に触れ、現地の部族の生活や文化を間近で見られた。そこに感じた「自分は異国の地に属している」という感覚は、旅の醍醐味だった。
旅は謎や対比、信念の再配置の場を提供する。
このように、旅は私たちのバッテリーを充電し、他者の生活に対する感受性を高める。まさに「歩く放送局」「生きた新聞」となり、世界の多様性を伝える唯一のチャンネルになる。

自分が長く暮らした場所とは異なる土地を訪れると、新たな視点と新鮮な見方が得られる。街を歩くたびに、世界とそこにいるすべての人々に対してロマンティックな感情が芽生える。
そして、これが私たちが旅を続ける理由だ。

私について
初めてこのページに来た方へ。私はフルタイムのインド旅行ブロガーです。イングランドでの9-5の企業勤務を辞めた後、何も目的を持たずにインドへ移住し、国内を巡る旅に没頭した。1年ほどしてこのブログを立ち上げ、2016年からは旅の記録と記事執筆に専念している。ライフスタイルや航空誌にも寄稿し、YouTubeチャンネルで動画配信も行っている。動画では自ら撮影した写真に旅の名言を添えて、なぜ旅をするのかを改めて語っている。
本記事は、私の好きな作家ピコ・アイヤーの文章にインスパイアされて執筆しました。




