ペルー北部高原でのユニークな冒険
ペルーの有名観光ルート、マチュピチュやクスコ、プノを離れ、緑豊かで人里離れた北部高原へ足を踏み入れましょう。この地域はインカや先インカの遺跡が点在し、アンデス山脈でも屈指の絶景が広がります。冒険心あふれる旅行者にとって、真の現地体験ができる新たな選択肢です。
ほとんどの旅は『雷の街』と呼ばれるカハマルカから始まり、同地で終わります。植民地時代の雰囲気が残るこの親しみやすい町は、考古学的遺跡や絶景ハイキングコースへの拠点となり、歴史的にも重要です。1532年、フランシスコ・ピサロ率いる160人のスペイン兵がここで6000人以上のインカ戦士を倒し、皇帝アタワルパを捕らえるという衝撃的な勝利を収めました。
身代金の物語
アタワルパは父フアイナ・カパックの死後、1525年に帝国が北部のアタワルパと南部のハスカルという異母兄弟に分裂し、内戦が勃発しました。最終的に北部のアタワルパが勝利し、クスコへ向かう途中、現在のカハマルカ付近にあるバーニョス・デル・インカ温泉で40,000人の軍勢を休ませました。
現在は地元の子どもたちが小さなプールで遊ぶだけの温泉ですが、1532年11月15日、アタワルパはヘルナンド・デ・ソトとピサロの騎兵とともに食事をしました。
翌日、アタワルパは6,000人の兵を率いて出陣し、勝利を確信していました。ところが、装甲に身を包んだスペイン騎兵が突撃し、スリングや棍棒だけで武装したインカ軍は壊滅。アタワルパは捕らえられ、ほぼ全員が命を落としました。
捕らえられたカハマルカで、アタワルパは身代金として「銀の部屋を二つ、金の部屋を一つ」提供しました。約6,000kgの金と12,000kgの銀(現在の価値で約6,000万ドル)が持ち込まれ、金塊に加工されましたが、ピサロが金の王座を奪い取ったほか、多くの宝は失われました。カハマルカの見どころである『身代金の部屋』は今も見学できます。豊富な財宝にも関わらず、スペインは裁判の後、アタワルパを絞首刑に処し、インカ帝国の崩壊への道を開きました。
果てしない自然の驚異
カハマルカのエメラルド色の谷とそびえる山々は、ハイカーや探検家を魅了します。農村を散策し、地元住民と交流したり、緑の大地を囲む険しい山岳をトレッキングしたりしてください。近くには、約3,500年前の埋葬遺跡『オツコのヴェンタニラス』があり、岩壁に刻まれた窓のような棺穴が特徴です(侵食が進行中)。
同様の遺跡として『コンバヨのネクロポリス』や『コンバヨのヴェンタニラス』があります。これらは王道インカ道路(カパック・ニャン)で結ばれ、複数の遺跡を巡るハイキングに最適です。
雲霧林と曲がりくねった峠を抜けて、アマゾナス州の首都チャチャポヤス(現地名は『チャチャ』)へ向かうと、山岳トレッキングや遠隔遺跡への拠点となります。特に、巨大な石造要塞『クエラップ』は見逃せません。




