曲がりくねる思い出
旅の始まり
私たち七人は、松の木材でできた長テーブルを囲んで座っていた。床板、壁、梁すべてが松。前にはグヤーシュとピエロギの鉢が並び、空腹で胃がキツキツに締め付けられる感覚は、何日も乗り続けた後にしか味わえないものだった。食べる気力は、何百キロも走った後の体力よりもはるかに重く感じられた。
自転車を引きながら食欲は徐々に高まる。皆が同じことを試みる。誰が提案したのかは覚えていないが、私は手にペンとノートを持ち、スタイヤ―というグラベルバイクをスケッチし始めた。1990年代の山岳バイクのハロウィンパーティーに出たかのような見た目だ。自分が山岳バイクを始めた頃、学校の教科書の裏にペンで走り書きした絵が原点だ。才能はないが、当時『Mountain Biking UK』に連載されていた漫画『Mint Sauce』のスタイルを真似した。山羊のように走る羊のドタバタが、私のビジュアル記憶を形作った。ペンを置き、ノートをテーブルの端に座るジョーに渡すと、彼は黙ってペンを受け取り、私の拙い描写を自然に修正してくれた。
思い出の散策
スロバキアでの記憶は、ルートと同じく蛇行している。午後のビール、薄暗くなる中でのパンク修理、川で洗濯するロマニ女性、牧草地を抜けるシングルトラック、森でキノコ採りをする地元の人々――それぞれが独自の色彩を持ち、時間は一つに溶け込んでいる。ここはハウツーガイドではなく、私たちの旅路をたどるだけだ。
同行者との関係が記憶に深く絡み合っているため、個々を切り離すのは不可能だが、簡単に紹介すると――リーダーでありオーナーのニック・マイルズ(RPM90)、サポートガイドのジョー、カメラマンのカル、元英国XCチャンピオンのニッキー、ヤーツ家の息子リアム、そしてビアの影響が大きいフィリッパ――という構成になる。
計画は、バンスカ・シュティァヴィニツァからポーランド国境まで約500km、北東方向へ5日間のグラベル走行。低タトラ山脈の起伏を含むルートは、スロバキアのハイキングガイド会社と協力し、静かな道路と面白いトレイルを選び抜いた。
山頂での眺望
標高1,946mのクローラ・ホーラは、低タトラで唯一舗装された山道があるため、私たちは登ることにした。太陽が眩しく、全てが白く染まる中、道は山をぐるぐると巻き、遠くに高タトラの尖った稜線が見える。上まで登り切ると、共産時代のTV送信塔がまるでジェームズ・ボンドの悪役基地のように佇んでいた。仲間は2.5ユーロで買えるスロバキア産リキュールをシェアし、甘くて刺すような味わいの中に白さを感じた。
午後の灼熱が和らぎ、下山の途中で三度のパンクと暗闇へのタイムトライアルが待ち受けた。「スロバキアにはまだ狼や熊がいるんだよ」と誰かが言うが、速さがあれば問題ないという結論に至った。
スロバキアの風景と日常
80〜90年代の子どもとして、最初に思い浮かぶのはベルベット革命と共産主義崩壊のニュースだ。教室の窓から見えるペニン山脈の風景は、私の自転車への憧れを刺激した。スロバキアは何度もオスマン帝国、ポーランド、ハンガリーに支配された歴史があり、街並みはその影響を色濃く残す。ソビエト時代の住宅ブロックは明るい色で塗装され、中心部には尖塔やドームが立ち並ぶ。
毎朝はコーヒーとスーパーマーケットでの買い出し。缶詰の魚、燻製ソーセージ、エナチーズ(チーズに似た加工乳製品)や安価なリキュールが常連メニューになる。
町の唯一のコーヒーバーは、オレンジ色の壁に若い少女の絵、20歳のCDプレーヤー、角に置かれた小さなテレビが飾られている。地元テレビを見ながら濃いコーヒーを飲むと、雨が降り続く田舎の風景が広がる。
最後の別れ
旅の終わりは一瞬で終わるものではなく、長い別れの連続だ。最終日の最後の登りはGPS上ではやや高めに表示されるが、実際は緩やかな上り。ジョーの車輪に乗りながら小さなシェルターで休憩し、残りの食べ物でピクニックを楽しむ。そこからダナウエク川の峡谷へ向かい、スロバキアとポーランドの国境を越える。数時間の走行はあっという間に過ぎ、最後は木造の部屋で自転車のイラストを描きながら、笑いとビールで締めくくった。
しかし旅はそこで終わらない。週明けのメッセージや後日共有された写真が思い出を呼び起こし、次回の計画がすぐに立ち上がる。次の旅が待っている限り、私たちは走り続ける。




