ワシントン記念塔に関する驚きの15の事実
ジョージ・ワシントンを称える最初の記念塔ではなかった
ワシントン記念塔の建設は1848年7月4日に始まりましたが、実は20年以上前の1827年7月4日にメリーランド州ブーンズボロ近郊で最初のワシントン記念塔が建てられています。町の約500人が協力し、54フィートの円形基礎の上に15フィートの石塔を建設し、同年9月に高さ30フィートで完成しました。
当初は政府から資金提供されていなかった
政府が最初の大統領の像を建てないことに失望した市民が、1833年にワシントン国立記念塔協会(Washington National Monument Society)を結成し、資金を募りました。しかし寄付金が不足し、1854年に工事は中断されました。
20年以上放置されていた
1854年に資金が底をついた後、塔は約20年間放置されました。南北戦争後の1879年に議会が再度資金を投入し、第二段階の建設が始まりました。この際、円形の柱やワシントン像は削除され、コスト削減が図られました。
実は3色の石材でできている
塔の下部の石は上部よりも明るい色をしています。22年の工期の空白期間に採石場が変わったため、色が一致しませんでした。第二段階で使用された石はマサチューセッツとボルチモアの採石場から調達されたため、さらに色味が異なります。
米国初の建築家が設計した
サウスカロライナ州出身のロバート・ミルズは、米国初の本格的に訓練された建築家とされています。ワシントン記念塔のほか、米国財務省ビルや旧特許局ビル(現在はナショナル・ポートレート・ギャラリーとスミソニアン・アメリカ美術館)なども手掛けました。
当初の設計ははるかに豪華だった
ミルズが勝ち取ったデザインコンテストの案では、600フィートのエジプト様式のオベリスクを取り囲む30本の柱に革命戦争の英雄像を配置し、さらに馬車に乗ったジョージ・ワシントン像を頂上に置くという壮大な構想が描かれていました。
将来の大統領3人が1848年の礎石式に出席
1848年7月4日の礎石埋設式には、ジェームズ・ブキャナン、アンドリュー・ジョンソン、そして当時はまだ無名だったエイブラハム・リンカーンを含む約2万人が集まりました。
礎石には貴重な遺物が封入されていると噂
デイリービーストによると、礎石の中には亜鉛製の箱があり、そこに憲法と独立宣言のコピー、14州の新聞、当時流通していた硬貨、ジョージ・ワシントンの肖像画などが納められたとされています。
ナショナル・モールはかつて全く異なる用途だった
ワシントン記念塔が建つナショナル・モールは、米国議会とポトマック川を結ぶ2マイル以上の芝生エリアです。建設前は牛舎や屠殺場として使われ、南北戦争中は連合軍の兵站拠点として何千頭もの牛が飼育されていました。
モニュメント内部に落書きが残っている
第二段階の工事開始前、モニュメントは連合軍の要塞兼訓練場として使用されました。その際、兵士デビッド・C・ヒッキーが石壁に自分の名前を刻んでおり、現在でもロビー部分で見ることができます。
アルミニウム製の頂部を持つ
モニュメントの頂部はアルミニウムで作られています。当時は採掘が非常に困難で、金や銀よりも高価とされました。100オンスのアルミニウムキャップは避雷針として機能しています。
アルミ製の頂部はティファニーで展示されたことがある
実際にティファニー・ニューヨーク店の床に置かれ、来店客が「ワシントン記念塔の頂上を踏んだ」かのように体験できる展示が行われました。
一時期、世界で最も高い建造物だった
555フィート(約169メートル)の高さで、1885年の献堂式時点で世界一の高さを誇っていましたが、1889年にエッフェル塔(986フィート)が完成しタイトルは失われました。現在でも、世界で最も高い独立石造構造物とされています。
頂上までの上昇は時間がかかった
1885年に献堂されたものの、内部の鉄製階段が完成したのは翌年でした。歩くのが苦手な来訪者向けに、1888年に蒸気式エレベーターが設置され、頂上まで約12分かかっていました。1901年に電動エレベーターに置き換えられ、現在の高速エレベーターへと進化しています。
地震に耐えた
2011年にマグニチュード5.8の地震がワシントン地域を襲い、モニュメントはひび割れや石のずれ、モルタルの剥離といった被害を受けました。そのため、一般公開は3年間中止され、現在はエレベーターの改修のため再度閉鎖中です。再開は2019年春を予定しています。
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