まだ発見されていない15の実在する隠された宝物

2000年もの歴史を持つメノラ
紀元70年、ローマ軍がエルサレム神殿を襲撃し、貴重なメノラを持ち去ったとされています。ローマのティトゥス凱旋門のフリーズに描かれていることから、ローマへ持ち込まれたことは確かです。その後、ローマの平和の神殿(Templum Pacis)に保管されたとされますが、191年の火災で失われ、行方は不明です。

中国皇帝の帝国印章(玉璽)
紀元前221年に秦の始皇帝のために作られた玉の印章で、王朝を超えて使用されました。10世紀までその姿が記録されていますが、その後の行方は分かっていません。近年、いくつかの玉が本物と主張されていますが、確証は得られていません。

イングランド王冠宝石(クラウン・ジュエル)
1216年、ジョン王がマグナ・カルタを承認した直後、王冠宝石の一部を携えて逃走中に腸チフスで倒れました。随行者が急いで救急を求めた際に荷物が失われ、エングランド湾(The Wash)の泥水に沈んだとされていますが、実際に宝石があったかは議論があります。

ダゴベールの王笏
7世紀にフランス王ダゴベールの即位式のために作られた金製の王笏です。サン・ドニ大聖堂に保管されていましたが、1795年に姿を消し、以降行方不明です。盗難説が有力ですが、真相は未解明です。

フィレンツェ・ダイヤモンド
メディチ家が所有していた黄ダイヤモンドで、約137カラットとされます。17世紀末にオーストリア皇帝に渡り、第一次世界大戦直前にスイスへ持ち出された後、行方は不明です。盗難、あるいは細かく砕かれた可能性が指摘されています。

サン・ミゲル号の財宝
1715年、スペイン王が資金調達のために積んだ貴金属・宝石を載せた船がキューバ沖で沈没しました。史上最大級の財宝船と推測されていますが、現在まで発見されていません。

トーマス・ビール暗号文
1816年、ロッキー山脈で金銀を発見したトーマス・ビールは、隠した場所を暗号で記した手紙をバージニア州の宿屋の主人に預けましたが、暗号は未だに解読できていません。

失われた金鉱(スーパースティション山脈)
1840年代にアリゾナ州のスーパースティション山脈で発見された金鉱は、アパッチ族に襲撃されて閉ざされました。1870年代にオランダ系移民ヤコブ・ワルツが再発見したとされますが、彼の死後も正確な位置は判明していません。

南部連合の金(コンフェデレート・ゴールド)
1865年の南北戦争終結後、数百万ドル相当の金が行方不明となり、南部が再興するのを待って隠されたとする説があります。ミシガン州の研究者らは、約1億4000万ドル相当の金がミシガン湖底に沈んでいる可能性を指摘しています。

ファベルジェ・エッグ
1885年以降、ロシア皇帝が宝石や金属で作ったエッグを女性たちに贈呈しました。全50個のうち7個は行方不明で、2012年に米国の廃金属業者が1個を発見するなど、今も捜索が続いています。

レオン・トラブコの金
1930年代初頭、メキシコの大富豪レオン・トラブコはニューメキシコ砂漠に金を隠しましたが、1934年の金所有禁止法が施行されると、関係者全員が不審死を遂げ、金の所在は永遠に失われました。

オランダ・シュルツのキャッツキルズ隠し財宝
1935年、禁酒法時代のギャング、オランダ・シュルツは死の間際に護衛のベルナード・ロゼンクラントがニューヨーク州キャッツキル山脈に埋めたと語りましたが、ロゼンクラントは死んで情報を残さず、財宝の場所は未だ不明です。

王室の棺(ロイヤル・カスケット)
1800年にポーランド貴族イザベラ・チャルトルスカが作った木製の箱で、73点の王室遺品が収められていました。第二次世界大戦中に南東ポーランドのシエニャワで隠されましたが、以降姿を消し、内容物は未だに見つかっていません。

フォレスト・フェンの失われた金庫
ベトナム戦争帰還兵で宝探し者のフォレスト・フェンは、1988年にロッキー山脈に小さな金庫を埋め、手掛かりの詩を出版しました。約6万5千人が挑戦しましたが、未だに発見されていません(実際には2023年6月8日に発見されたという情報もあります)。

ヴェロ・ビーチの財宝
フロリダ州ヴェロ・ビーチ沖では、何世紀にもわたり多数の沈没船が発見され、すでに何百万ドル相当の金貨や遺物が博物館や市場に出回っています。まだ海底には未回収の宝が眠っていると考えられています。




