忘れ去られたJFKターミナルへの冒険
この週末、壮大な修復が完了したTWAフライトセンターが、Open House New Yorkで一般公開されます。マギー・モリスがその内部を見学しました。
概要
かつて、商業航空はモダンで華やかなイベントでした。乗客は最高の装いで搭乗し、空港のラウンジや飛行機の離着陸を眺めるだけで一種のファッションショーのようでした。今やIDチェックや厳しいセキュリティが常識となり、旅行のロマンは薄れました。
歴史と建築
10月7日、Open House New York Weekendの一環として、ニューヨーク・ジョン・F・ケネディ空港(JFK)の新たに修復されたTWAフライトセンターが一般に公開されます。この建物は近代建築の象徴的な作品で、短時間だけの公開となります。


上部:1963年に撮影された上階ロビーから見た入口。下部:現在の同スペース。
1956年、TWAはフィンランド系米国人建築家エーロ・サーリネンにIdlewild(1963年にJFKへ改名)に新ターミナルの設計を依頼しました。サーリネンは「飛行」の精神を建築で体現しようとし、結果として鳥のようなコンクリートとガラスの傑作が誕生しました。
1962年に開業したこの建物は、雲のように流れる内部と、500万枚以上の小さな磁器タイルで覆われた壁面が特徴です。壁は波打ち、床へと溶け込むように設計されています。ルブタンレッドのラウンジが2本の円筒形の通路の間に配置され、到着・出発時刻は楕円形の彫刻に刻まれ、まるでE.T.の頭部を思わせます。



改装前の大使ラウンジ(エームズのシートと野口泉の噴水跡が残る)。
上階のファーストクラスラウンジにはチャールズ・エームズのラブシートや野口泉の噴水が点在し、サーリネンは単なる建物ではなく、旅人のための総合体験をデザインしました。
近代化と現在
しかし、建設完了時にはすでに時代遅れとなっていました。747機が導入されると、ターミナルの入り口が小さく、利用できなくなったのです。その後も安全・セキュリティ対策の強化や旅客数増加への対応で、サーリネンの原案は次第に削られました。2001年に全ての運航が停止し、ターミナルは国定史跡に指定されました。
ニューヨーク・ニュージャージー州ポート・オーソリティは、Beyer Blinder Belle建築事務所と協力し、2000万ドルの予算で数年にわたる修復を実施しました。Open House New Yorkの開催後、ターミナル内にブティックホテルがオープンし、TWAの歴史やIdlewild/JFKの遺産を紹介する常設展示が行われる予定です。

『Fly the Finest Fly TWA: A Pictorial History of Trans World Airlines, 1925-1987』からの別のスキャン。

現在の外観。

地下休憩室にTWA従業員が描いた壁画。従業員がカートを引くネズミ、ブームビィの友達ポーキーが橋の下に描かれています。

改装されていないエリア:地下のチケットカウンター。
個人的な体験
私は空港で育ち、乗客というよりも裏方の視点で空港を見てきました。父はポート・オーソリティで50年以上働き、主にニューアーク空港に配属されていました。彼と一緒にターミナルを訪れ、タクシーウェイで車を運転した経験があります。父の航空への情熱と知識は、サーリネンのターミナルに関わった建築家チャールズ・クレイマーともつながっていました。
父が最期を迎える直前に、クレイマーは私にターミナルの修復現場を見学させてくれました。父は「全て写真に収めてくれ」と依頼し、私が撮影した画像は父にとって飛行の魔法を思い出させるものでした。

著者と建築家チャールズ・クレイマーが飛行管内にいる様子(写真:トム・リッチモンド)。
その体験とサーリネンの原初ビジョンは、今回の展示で一般公開される空間と重なります。現在のジェットブルーの旅行センターや多くの空港は、セキュリティ通路とショッピングモールのような通路で満たされ、スタイルに乏しいものです。かつてのような旅行の興奮は失われつつあります。
しかし、修復されたターミナルを歩く間、私はあの神話的な旅の雰囲気を一瞬でも体感できました。エームズのソファで休み、野口泉の噴水の前でガラスの天井越しに空を見る――そんな瞬間が、かつての旅行のロマンを呼び覚ましたのです。
訪問計画
Open House New YorkでのTWAフライトセンターは、10月6日から公開されます。詳細は公式サイトをご確認ください。
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