NYCメイシーズ感謝祭パレードの歴史と魅力
ホリデーシーズンのディナーを楽しむために遠くへ旅するか、近くで過ごすかに関わらず、メイシーズ感謝祭パレードの熱狂に身を投じる、あるいは自宅のソファで七面鳥がオーブンで焼ける音を聞きながら観る、どちらも格別です。80年以上にわたり、華やかなフロートや巨大なバルーン、音楽、エンターテイメントで祝祭の幕を開けてきたこのパレード。その歴史をご存知ですか?今回はCityPASSと共に、メイシーズ感謝祭パレードの歩みを振り返ります。
始まり
この伝統は1924年に始まり、米国で2番目に古い感謝祭パレードです(フィラデルフィアのABCダンキンドーナツ感謝祭パレードが最古)。当初は「メイシーズ・クリスマス・パレード」と呼ばれ、デパート従業員であり第一世代の移民たちが企画しました。新しいアメリカの暮らしに誇りを持ち、感謝祭を盛大に祝いたいという思いから、セントラルパーク動物園の動物やプロのエンターテイナー、鮮やかな衣装が登場しました。パレードはハーレムの145丁目から34丁目のメイシーズ本店へと走り、動物と人々の多彩な組み合わせが瞬く間に人気を博しました。
動物はさようなら、バルーンが登場!
1927年になると、観客数が急増し安全面から生きた動物の使用は中止されました。代わりにゴディア・タイヤ・ラバー社が製作した動物形バルーンが登場し、世界で最も有名な漫画キャラクター100種以上が空を彩りました。最初のキャラクターバルーンは「フェリックス・ザ・キャット」でした。1928年のパレードではバルーンが予期せず破裂し、街のスカイラインに笑いが広がりましたが、翌年からはヘリウムで膨らませるようになり、パレード後はマンハッタン上空をゆっくり漂い、幸運な人の家のドアに届くこともありました。
テレビ時代へ、そしてその先へ
1946年、テレビが普及し始めたことを受けて、パレードは観客が座りやすいように出発地点を77丁目とセントラルパーク・ウェストへ移しました。この年は200万人以上のライブ観客を記録し、初めてローカルテレビで放送されました。都市部で感謝祭を過ごす人が増えるにつれ、バルーンや演出はますます豪華になっていきました。
しかし、規模が大きくなるとトラブルも起きました。1957年、ポパイの帽子に雨水が溜まり前傾してしまい、観客に何百ガロンもの氷水が降り注いだエピソードがあります(以後、帽子は凹面形に改良されました)。こうしたハプニングや独創的なフロートが加わり、NYCの感謝祭は本格的な「ターキー・デイ」へと進化しました。
現在の様子
今日ではメイシーズ感謝祭パレードは「アメリカのパレード」と呼ばれ、街の観光名所を取り囲む道路には350万人以上の観客が集まります。テレビで観るだけでも、全米で5000万人が感謝祭の定番として視聴しています。また、パレード前日のバルーン膨らませイベントには毎年100万人以上がセントラルパークに足を運びます。
パレードはアメリカ文化の象徴です。子どもたちに笑顔を届ける漫画キャラクターのバルーン、42丁目を練り歩く高校のマーチングバンド、華やかなフロートに登場する有名エンターテイナー、そしてブロードウェイのトップクラスの歌手やダンサーが街角でパフォーマンスを披露します。テレビ視聴者も会場にいる観客も、まさにニューヨークの古典的な劇場体験を味わえるのです。
毎年変わるエンターテイナーやバルーンもありますが、変わらないのはサンタクロース(時にはミセス・クロースと共に)がそりに乗って登場し、ホリデーシーズンの幕開けとパレードの締めくくりを告げる瞬間です。
巨大バルーン、迫力ある音楽、色鮮やかな衣装、そして感謝祭の伝統が交錯するこの街角は、マンハッタンで過ごすホリデーの最高の舞台と言えるでしょう。




