ルーティーンと冒険の狭間で
朝の始まり
目が覚め、寝袋の中で5分ほどもぞもぞした後、起き上がってコーヒー用に水を沸かす。カメラのシャッター音と鍋の沸騰音が聞こえる。日の出を撮影し、コーヒーができたらオートミールを作り、荷物をまとめてペダルを踏む。
ルーティーンへの抵抗
ルーティーン――精神はそれに反発するが、いつの間にか忍び寄ってくる。世界一周のサイクルツアーを始めて5か月、無意識のうちに日課に陥っていた。大学を卒業し、都会のデッドラインや長時間労働に追われる友人たちと違い、僕は逃れたはずの『繰り返し』に再び捕らわれていた。
アンデスの道での繰り返し
ペルーのルタ3号線、アンデスの舗装道路を走っていた。標高2,000メートル超の登りが毎日続き、絶景と豊かな文化に触れながらも、日々は同じように過ぎていく。紙面上では理想的なバイクツアーに見えるが、実際は『北へ何キロ走るか』『緯度をどれだけ進むか』という数字に囚われ、充実感を失っていた。
子どもの頃から長距離スポーツに没頭し、体を限界まで追い込むことに快感を覚えてきた。その影響で、目標がなくても道路上で速さや距離を競う自分に気付く。完璧なキャンプ地を通り過ぎてでも、さらに20km走ろうとする自分がいた。記録を破ることが目的ではなく、世界を見ることが目的なのに、目標が逆に本当の冒険への障壁となっていた。
挑戦への欲求と日常の罠
食べる・走る・眠る――自転車旅の基本は変わらないが、これらを行う場所や方法は変えられることに気付いた。毎日の上り下りは感情の波と同じく、頂上の感覚と谷底の暗さが交互に訪れる。ペダルを踏むたびに一つの思考に集中し、全ての可能性を探る。だが、ルーティーンは冒険の天敵で、どんなに美しい風景でも無感覚に通り過ぎてしまう。
SNSに投稿する写真や動画の裏側では、旅は単に生活の延長に過ぎないと感じていた。毎日が『人生最高の旅』というより、普通の生活を自分流に続けているだけだった。
未踏の道へ
そこで、舗装路を離れ、ペルー中部の未踏のトレイルへと向かった。標高の高い、難しい山道を次々に攻略し、泥や雪、雨に挑む。自らのペースで山を上り、下り、道が途切れたら荷物を担いで登り、川を渡り、真の冒険へと踏み込んだ。苦しいはずの登りも、魂が歓喜し、むしろ高速道路よりも楽に感じた。



ルタ3号線では車やトラックが轟音を上げて通り過ぎたが、ここでは時折家族連れが馬に乗って谷を横断し、産物を売りに来る。彼らもまた、日常に飽き飽きしているのかもしれない。更に高い峠、荒れた道、泥、雪、雨、そして変わりゆく景色――すべてが冒険心を刺激した。
しかし、二週間の山岳挑戦の後、また新たなルーティーンが芽生えた。恐怖や興奮は薄れ、旅の快感は再び遠のいた。次は何をすべきか――
冒険と日常のパラドックス
人間は困難に順応するようにできている。その適応力が探検心を支える一方で、冒険の本質である『未知』を失わせる。冒険は不確実性と不経験の狭間にあり、適応が進むと快適さが優先され、冒険はルーティーンへと変わってしまう。無限に続く冒険は存在せず、常に一時的な充実感と永遠の渇望が交錯する。
地図の端にある『冒険』は、手を伸ばすほど遠ざかり、再び追い求めるしかない。マルチイヤーのサイクリング旅行を成功させる鍵は、ルーティーンから抜け出し、旅の原点となった価値観を守り続けることだ。これはまだ探し続けている才能であり、これからも挑み続ける課題である。




