ニューヨークが生んだ平等権利の先駆者、スーザン・B・アンソニー

序文
「男性は自分の権利だけ、女性は自分の権利だけ」
米ドルの裏面に描かれた女性、スーザン・B・アンソニーは、投票権のために逮捕されたことで知られていますが、実はそれ以上に多彩な活動を行った偉大な人物です。女性参政権運動のリーダーであるだけでなく、教育・結婚・労働の分野での女性の権利拡大や、奴隷制度廃止にも尽力しました。
幼少期と背景
1820年にニューヨーク州バッテンビルで生まれたアンソニーは、女性が法的にほぼ無権利で、夫や父親の財産とみなされていた時代に育ちました。投票権はもちろん、財産所有や離婚、教育の機会すら制限されていました。
教師としての出発と初めての怒り
アンソニーは、当時女性に限られた職業であった教師になり、モンゴメリー郡カナジョハリー学園の女子部門長を務めました。そこで男性教師が月給10ドル、女性教師はわずか2.50ドルという賃金格差を知り、強い憤りを覚えました。
この怒りは、母や姉妹と共にロチェスター女性権利大会に参加するきっかけとなり、女性の権利向上に関心を抱くようになったのです。
奴隷廃止運動への関与
同時期、米国は奴隷制をめぐる激しい分断に直面していました。アンソニーの家族はロチェスター近郊の農場に移り、フレデリック・ダグラスやウィリアム・ロイド・ギャリソンら廃奴活動家を招いて議論の場を提供しました。彼女は反奴隷協会に加入し、ダグラスと友情を結びながら活動を開始しました。
女性参政権への本格的な参入
セネカフォールズで活動するアメリア・ブルーマーの紹介で、エリザベス・ケイディ・スタントンと出会い、長年にわたるパートナーシップが始まります。二人はニューヨーク州議会に酒類販売制限の請願を行いましたが、署名者が女性と子どもばかりだったため却下されました。この経験が「投票権がなければ女性の声は届かない」という認識を深め、1852年にシラキュースで開催された第3回全国女性権利大会でルーシー・ストーンの演説を聞き、正式に女性参政権運動に加わります。
『ザ・レボリューション』と全国女性参政権協会

アンソニーとスタントンはロチェスターで週刊紙『The Revolution(革命)』を創刊し、スローガンに「男性は自分の権利だけ、女性は自分の権利だけ」を掲げました。この紙は参政権だけでなく、8時間労働制や同一賃金、女性労働者のための組合設立を訴えました。
同時に、二人は「National Woman Suffrage Association(全米女性参政権協会)」を設立し、憲法改正による投票権獲得を目指しました。アンソニー、スタントン、マチルダ・ジョスリン・ゲージは6巻にわたる『History of Women’s Suffrage(女性参政権史)』を執筆し、運動の軌跡を記録しました。
全国巡回講演と逮捕
アンソニーは全国を巡り、数百回の演説を行いながら女性の投票権を訴えました。1872年のロチェスター選挙で違法ながら投票し、自宅で逮捕・100ドルの罰金を科されましたが、支払いを拒否しました。
晩年と遺産
85歳でセオドア・ルーズベルト大統領と面会し、参政権を訴えた後、86歳の誕生日に「失敗はあり得ない」という最後の演説を行い、1906年にロチェスターで永眠しました。『ニューヨーク・タイムズ』の訃報では、友人に「60年以上にわたる闘いの末に、まだ自由が得られないまま死ぬのは残酷だ」と語ったと伝えられています。
1917年にニューヨーク州は女性参政権を認め、1920年に第19修正条項が成立し、全米の女性に投票権が付与されました。
ニューヨークで訪れたい歴史的スポット
スーザン・B・アンソニーの足跡をたどるなら、フィンガー・レイクス地域の以下の施設がおすすめです。
- National Women’s Hall of Fame(セネカフォールズ)
- Women’s Rights National Historical Park(セネカフォールズ)
- Matilda Joslyn Gage House(フェイエットビル)
- National Susan B. Anthony Museum and House(ロチェスター)
- Susan B. Anthony Square Park(ロチェスター)
- Mount Hope Cemetery(ロチェスター)
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