ネイティブの娘とバンクシーがベツレヘムの壁に挑む
ロンドン在住の作家リザ・フォアマンは、家系調査のためベツレヘムへ旅立ち、街を取り巻く壁の現実と、バンクシーが手がけた『The Walled Off Hotel & Museum』を体感した。
ベツレヘムへの旅路
シナイ半島南端のリゾート都市シャルム・エル・シェイクから、イスラエル国境へ向かうタクシーで、ドライバーにシリアのイスラム国(ISIS)勢力について質問した。ドライバーは「数百キロ西、ガザ近辺にいる」と答えたが、帰国後すぐにユネスコ世界遺産の聖カタリナ修道院がISISの標的となったことが判明した。
私はイスラエル側の検問で「パレスチナ地区への訪問予定は?」と何度も問われ、入国許可を得るために「いいえ」と答えるしかなかった。エイラトでバスに乗り、エルサレム経由でベツレヘムへ向かい、パレスチナ人が立ち入れないラチェルの墓チェックポイントを通過した。
ルーツを探す
ベツレヘムで私が最初に訪れたのは、イエス・キリストの誕生地とされる聖誕教会。内部は現在も修復工事中だが、見学は可能だ。
家系記録は教区事務所に保管されており、17世紀にさかのぼる家系簿を閲覧できた。さらに、ミルク・グロット墓地や復元されたエバンゲリカル・ルーテル・クリスマス教会で祖父母や曾祖父母の墓を確認した。
私の曾祖父ギリウス・カタンは1910年代初頭のベツレヘム総督で、現在は名前が掲げられた家が旧市街の中心に残っている。現地の店主が親戚であり、家族の歴史やカタン家がコーベやムンバイまで交易網を持っていたことを教えてくれた。
旧市街の砂岩建築や石畳は多くの国際NGOや米国エイド(USAID)の支援で修復され、観光客を迎えている。しかし、街へ入るにはイスラエルの検問を通過しなければならず、パレスチナ人は許可証が無ければ入れないという厳しい現実がある。
バンクシーが壁に挑む
ベツレヘムで注目したのは、バンクシーが手掛けた『The Walled Off Hotel & Museum』だ。壁の歴史やパレスチナ人が受けた苦難をテーマにした展示が並び、バロック様式の客室からは壁が一望できる。
展示の目玉は、当時の外相アーサー・バルフォアがバルフォア宣言に署名する様子を再現した実寸大モデル。宣言は100年前に発表され、現在も中東の政治的対立の根源とされている。
訪問当日は国連がイスラエルを「アパルトヘイト国家」と指摘する報告書が発表され、現地のアラブバスに乗って東エルサレムからベツレヘムへ戻る途中、ラチェルの墓チェックポイントの混雑を目の当たりにした。
ベツレヘムでの滞在と食事
私はベツレヘム郊外のベイト・サフールにある家族経営のゲストハウス『Hosh‑Al‑Subbar』に宿泊。自家製のナスとアボカドのサラダ、スイートポテト料理が評判だ。
街を歩けば羊飼いが羊を連れて行く光景や、旧市街の石畳が広がり、観光客と現地住民が共存する様子が見られる。
ベツレヘムでやるべきこと
- 聖誕教会(Nativity Church)を訪れ、内部の宝物を鑑賞
- 旧市街を散策し、石造りの建物や市場を楽しむ
- ベイト・サフールの復元された旧市街を見学
- バンクシーの壁ミュージアムとホテルでアフタヌーンティーを堪能
- ベツレヘム・アイコンセンターと博物館を訪問
- パレスチナ紛争変革センターが主催するツアーで現地住民と交流
- ラチェルの墓チェックポイントを通過し、ディストピア的な風景を体感
- エルサレム旧市街への日帰り旅行
宿泊施設
- Hosh‑Al‑Subbar(ベイト・サフール)
- Hosh‑Al‑Syrian Boutique Hotel
- バンクシーの Walled Off Hotel
- Jacir Palace
食事スポット
- マネージャー・スクエア周辺の屋台で新鮮なファラフェル(特にAfteem)
- Hosh‑Al‑Syrian はフランス料理のシェフが手掛ける本格料理
旅行計画
アクセス:最寄り空港はテルアビブのベングリオン空港。エッグドバスや鉄道でエルサレムへ。
移動手段:エルサレムからアラブバスでラチェルの墓へ向かい、チェックポイントを歩いてタクシーに乗り換えるか、ダマスカス門発のバス21号でベイト・ジャラへ直行。
ベストシーズン:年間通年訪問可能だが、冬はプールが閉鎖される。
持ち物:宗教施設入場用に長袖と長ズボンを用意。
裏技:Googleマップがパレスチナを表示しないため、maps.me を事前にダウンロードしておくと便利。
ベッドサイドに:聖書。




