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アフリカの夜、滝と悪魔払いの始まり

ウアガドゥグでの夜

ウアガドゥグ(ブルキナファソ首都)へは、広々とした舗装道路と広場・記念碑が放射状に広がる街並みから、比較的簡単に辿り着けます。フランス植民地時代の影響が色濃く残る街は、土ぼこりの路地すら規則正しいグリッド状に整備されています。街灯の上にはハゲワシがとまっており、まるで不気味なパレードのフロートのような感覚に陥ります。

アフリカの夜、滝と悪魔払いの始まり

しかし問題は夜に訪れます。昼間は木炭の煙とほこりが独特の活気を生み出しますが、夜になるとそれがかすかな白い霧となり、視界を奪います。街灯もちらつくだけで、タクシーで目的地(ライブ音楽と冷たいビールが楽しめると聞いた店)へ向かうと、かなり時間がかかります。

悪魔払いの体験

友人たちと私たちは、前夜に行った悪魔払いの余韻を楽しみつつ、音楽とビールでリラックスしたいと考えていました。実は、先週訪れた遠隔の村で、若い少女が悪霊に取り憑かれたとされ、村全体が夜通し歌や太鼓で儀式を行っていました。月明かりの下、サハラの星空が瞬き、少女は太鼓のリズムに合わせて揺れ動いていました。その光景は、400年の歴史を遡るかのような、19世紀のフランス探検家がチッド湖へ向かう砂漠の旅路を思わせるものでした。

ライブ音楽とビール

翌日、ウアガドゥグに戻り、現代的な夜を求めて指定された住所へ向かうと、古びた小屋の前でキャンプストーブを囲む四人の老人が座っているだけでした。音楽はなく、別の通りへ行くように案内されました。そこにたどり着くと、DJブースで働く若者がブルキナファソ大統領ブレーズ・コンパオレのTシャツを着ていました。彼はすぐに「本物のライブ音楽が聴ける場所を知っている」と言い、ターンテーブルを止めて私たちを群衆の中から抜け出させ、再び街中を案内してくれました。

目的地に辿り着くと、冷たいアフリカ産ビールと共に本格的なライブ音楽が流れ、踊りや国際的な友情、笑い声が溢れていました。翌日、フランス人実業家にこの出来事を話すと、彼は笑ってこう言いました。

「最初の場所から別の場所、そして最初の目的地ではない三番目の場所へ行ったけど、楽しめたんだね?」

私はうなずきました。

「それこそが、完璧なアフリカの夜だったんだよ」

トラベルノート
  • 私とタージ・マハル

    小さな自分でタージ・マハルの壮大さをどう感じるか。見知らぬ人々と一緒に床に座り込み、旅の読者の物語です。 インド・アグラ――33km、32km、31km。道標が次々と通り過ぎるたびに、タージ・マハルが近づいているのを感じる。夜行列車でバラナシへ向かい、混雑したバスのドアに立ち、黒煙が立ち上るエンジン音が響く。村人たちが乗り降りする中、私はただ「インドだ」と自分に言い聞かせ、タージへ向かう決意だけを抱いていた。 馬の蹄音が道路の真ん中で響き、建設作業員が道を譲る。7、6、列車が短く通り過ぎるのを待つ。5、道端で踊る熊を連れた女性さえも目に留めず、ただ目的地だけを考えていた。4、3…インドに6週間滞在し、やっと無関心を脱ぎ捨て、胸が高鳴っている自分に気付く。 アグラのバスステーションで、唯一本音を言える瞬間にオートリキシャの運転手に「タージまで連れて行って!」と頼むと、すぐに出発した。 タージ・マハルの姿 白い大理石のドームは、まるで空から漂う雲を形作ったかのように膨らむ。白い対称性が高くアーチ状に伸び、千夜一夜物語の一場面のような愛の象徴だ。長方形の水面に沿って歩くと、目の前に広がる

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