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旅の始まり – ヨーロッパからアフリカへ向かう冒険

はじめに

ヨーロッパの最終バス停でひとり立ち止まり、これから一年以上続く旅路を思い描いた。旅の成功とは、出発点に394日後に戻り、タンジールから西へ2万4千マイル以上、赤道を一周した距離を走破したことを意味する。

ジブラルタル到着

ヨーロッパの最南端、ジブラルタルのユーロパ・ポイントに到着したとき、通りはイギリスの歴史が色濃く残る雰囲気だった。トラファルガー墓地を抜け、王族の名前が付いた砦を歩くと、英国軍が所有する土地のチェーンフェンスに阻まれ、別ルートを探す羽目になった。夏の遅い嵐がアフリカから吹き込んできて、空は次第に晴れ間を見せ始めた。

ジブラルタルの文化と歴史

ヨーロッパ最大級のモスクが見える場所で、アフリカ大陸――地球で最も古く、貧しい大陸――の姿が遠くに浮かんだ。未知への不安と、暗黒の大陸というステレオタイプが頭をよぎったが、実際に足を踏み入れるとジブラルタルはイギリス領でも、独自の文化が混在する場所だった。スペインのラガーをポンドで買い、バーバリー・マカクが自由に歩く唯一のヨーロッパの土地。かつてムーア人が築いたハマムや、アンダルシア最大のムーア城が今もユニオンジャックを掲げている。

旅の始まり – ヨーロッパからアフリカへ向かう冒険

私はジブラルタルを英国の一部としか考えていなかったが、実際は多言語・多宗教が交錯するミクロコスモスであり、ジブラルタル海峡を隔てたアフリカ側と同様の文化的混ざり合いを体感した。

アフリカへの出発

小さな空港ターミナルを後にし、できるだけ費用を抑えるために荷物を肩に背負ってジブラルタル中心部へ向かった。ランドポート・ゲート付近では、アフリカからの移民が足元で座り、安価な衣服に身を包み、コーヒーカップを握えていた。その目は私と同じく未知への不安を映し出していたが、私は帰国の余裕があることを知っていた。

旅の装備とインターネット環境

次の13か月はアフリカがホームになる。毎日ほぼ移動し、予算は限られたため、出会う街や人々に依存した生活を送った。手元にあったのはコンパクトなデジタルカメラと、古いNokia 3100だけ。スマートフォンは使えないと考えていたが、現地のインターネットカフェで非QWERTYキーボードを使いながらブログを更新する楽しさを知った。

旅の始まり – ヨーロッパからアフリカへ向かう冒険

ジブラルタルから見えるアフリカ大陸は、ジベル・ムサの上部がキャンディーフロスのような雲に隠れ、ヘラクレスの柱と呼ばれる古代の地形が広がっていた。東へはセウタ、西へはタンジールが位置し、果てしなく続く海岸線が目の前に広がっていた。

ロック・オブ・ジブラルタルの散策

ヘラクレスの話を思い出し、ロック(ジブラルタルの自然保護区であり歴史的アクロポリス)を訪れた。標高412メートルのロックは、カメロン山の高さの約1/10に相当する。ケーブルカーで上がり、果物や野菜が常に補給される場所でマカク猿が遊んでいた。岩の斜面を登りながら、ファイター機がジブラルタル湾上を旋回し、国境防衛の訓練を行う様子を目にした。

公共交通機関との出会い

アフリカへ近づくために、まずはジブラルタルを離れ、スペイン側のラ・リニアへ向かう道路標識「SPAIN SPAIN SPAIN」に従ってバスに乗った。ジブラルタル湾を横断する高速フェリーでアルヘシラスに渡り、そこからスペイン本土へ。これが、アフリカ大陸へ続く公共交通機関との最初の出会いだった。アフリカでは「公共交通」という言葉がバス、ブッシュタクシー、旧ソ連製フェリー、肉パイを運ぶバンなど、あらゆる移動手段を指すことになる。


トラベルノート
  • 遊牧民の台所

    偶然の出会いとトルコでの招待 運命的なタイミングで、次の料理体験が始まった。私はトルコの最安値ホテルの部屋で、湿気と暗闇に包まれ、胃の痙攣に苦しんでいた。前日に飲み過ぎた黒茶とタバコが原因だった。体調不良のため、朝のサイクリングは中止し、部屋で休むしかなかった。 そんなとき、マットが市場で調達したものを持ち帰り、にこやかに言った。「起きてくれ、招待が来たんだ。これ、きっと気に入るよ」。 クルバン・バイラミへの招待 私たちはイスラム暦で最も重要な祭りの一つ、クルバン・バイラミ(犠牲の祭り)に特別ゲストとして招かれた。この祭りは、預言者アブラハムが息子イシュマエルを犠牲にしようとした信仰の試練を記念し、代わりに羊が捧げられるものだ。 ホストのラマザンは、貧しい人やホームレスを含むすべての人が祭りに参加できるよう配慮していた。 牛の屠殺とチームワーク 私たちはラマザン家の庭へ向かい、背中に横たわる死体の雄牛を目の当たりにした。血に染まったアマチュア肉屋たちが、刃や斧を手にしていた。 経験豊富な老農家の妻が指揮を執り、牛は正確かつ迅速に解体された。脂が滴る臓器や、完璧に切り分けられたステーキが

  • 極限を超える挑戦:史上最長の南極徒歩記録

    ベン・ハドソンとチームメイトのタルカ・L’ヘルピニエールは、過酷な南極大陸を1,795マイル(約2,888km)横断し、南極点への往復で世界最長の徒歩記録を樹立しました。全行程は105日間にわたり、肉体的・精神的限界を大きく押し上げ、今後の極地探検の新たな基準を示しました。 背景と動機 ジョン:ベンさん、まずはご自身の経歴と、なぜスコット遠征に挑んだのか教えてください。 ベン:2001年にペン・ハドソンと共に北極点を目指す挑戦に参加し、失敗を経験しました。その後、極地の過酷さに魅了され、特に歴史的な南極遠征に関心を持つようになりました。1912年1月、ロアール・アムンセン率いるノルウェー隊に先に到達したスコット隊は、食料庫まであと11マイルの地点で全員が命を落としました。この悲劇的な結末に「誰もこの旅を完遂できていない」という執念が芽生え、テクノロジーが進んだ現代でこの未完の挑戦を成し遂げたいと考えるようになったのです。 ロジスティクスと計画 ベン:遠征の計画や資金調達はどのように進めましたか。 当初は想像以上に時間とコストがかかることに気づきました。英国の不況下で大規模な資金調達を行

  • 地球果てへの旅路

    AllyとWild Born Projectの紹介 Allyは情熱的な活動家で、世界で最も僻地に住む部族コミュニティの出産と妊娠を調査する Wild Born Project の創設者です。17歳でパプアニューギニアの奥地へ単独で旅立って以来、孤立した先住民の暮らしを探検・記録・体験し続けてきました。 私はExplorers ClubでAllyと出会い、同じフェローとしてつながりを持ちました。大陸を隔てた遠距離ながら、SNSやSkypeで頻繁に交流し、彼女の物語を文章にすることを提案しました。現在は共同執筆中の書籍『Women at the End of the Land(地の果ての女性たち)』で、シベリアのツンドラに住む妊娠中のネネツ女性レナとの出会いを描いています。本インタビューはSidetracked誌に掲載されたAllyの遠征体験を基にしています。 インタビュー 何がネネツ民族の研究を志すきっかけとなったのですか? 私は、過酷な北極圏で生活する遊牧民ネネツの「自然との共生」や、トナカイと築く相互依存の関係に強く惹かれました。人がそんな環境を選ぶ理由が想像しにくく、むしろ好奇