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選ばなかった山

光はまぶしく、雲の柔らかな光に向かって登るほど明るくなる。何時間も登り続けたように感じる。目標に近づくにつれ、息は速く浅くなり、時折深く息を吐きながら上方を見上げる。右足が揺れ、安定した左足に体重を移す。

もうすぐだ。目標が見えてきて、最後の難しいカーブに挑む力が湧く。周囲の壁が呼吸音を増幅し、頂上を越えるときにクレッシェンドのように響く。安堵が全身に広がり、ひとりで、誰の助けもなくやり遂げた。落下や救助の恐れは現実にならなかった。

崖から離れ、外科用マスクを下げて呼吸を整えると、現実がはっきりと見える。これは自分が選んだ山ではない。12階建ての高層ビルの6階にある灰色の階段だ。壁はレンガ、光は人工的、天窓の柔らかな雲はさらに6階上にある。紙の掲示板がマスク着用を促し、呼吸が落ち着いたのでマスクを直す。

時計を見ると、1階からここまでの登りは11分。次回の目安になる。道具の中から鍵を探し、杖で左足を支えながら玄関のドアを開く。

選んだ山ではないが、今日もやり遂げた。

この山はどうやって自分のものになったのか

私は医大を卒業したばかりの新人医師。パンデミックの中で足場を探している。自然の中で過ごす時間が医学への道を開いた。若い頃の遠征で大事故に遭い、無力感を味わった。その経験から、過酷な環境で人をケアすることを目指すようになった。

パンデミックは世界を狭めたが、アウトドアへの欲求は消えない。病院の一日(あるいは一夜)を終えると、心拍の鼓動や汗の匂いが自然への呼び声になる。ジャージー島の北海岸では、潮の匂いと波の音が心を洗い流す。海に身を投げると、病院の不安が泡とともに消えていく。

パンデミックは私たちの世界を縮めるが、私は自分の世界に感謝している。

選ばなかった山 選ばなかった山 選ばなかった山

2021年1月、再び世界が狭まる

北海岸で友人と土曜のトレイルラン。冷たい朝、標高が上がるほどゆっくりと昇る太陽を見た。体を温めるために走り続けていたが、足を滑らせて転倒した。

「ただのねんざだろう」と自分に言い聞かせたが、右大腿は腫れ、鋭い痛みが走る。パニックが胸に広がるが、医師である自分にも無力さはある。結局、重度の大腿骨骨折で緊急手術を受けた。

夜中、病室で目覚めると、二つに割れた大腿骨のX線写真が目に入る。数日前は整形外科の研修医だったが、今は数か月の回復が必要だ。泥だらけのトレイルシューズがベッドサイドに置かれ、朝のランニングの痕跡が残っている。

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リハビリのはじめと闘い

退院後、時間が歪むように感じた。トイレへ起き上がるたびに痛み止めを待ち、薬が切れると眠りに落ちる。感情は涙、希望、感謝、苛立ち、痛みが交錯し、睡眠がやがて戻ってくる。

麻酔の霧が晴れ、寝室の窓から山並みが見えるようになる。各々の峰は達成すべき目標だ。曖昧だった過去数週間と比べ、目標は心の焦点となる。

目を開き、今日の目標を設定する。ゆっくりと慎重に、次第に大胆に動く。腫れた脚は不協和音を奏でるが、少しだけ前に進むと痛みが走る。だが、ゴールは見えている…

「YES!」

ベッドの端でバランスを取りながら、右足に初めて靴下をはいた。こんなにシンプルなことに感謝できなかった自分が恥ずかしい。
しかし、丘を登ることはまだ半分に過ぎない。

選ばなかった山

水中での小さな冒険

ベッドに倒れ込み、喜びは薄れ、疲労感が全身を包む。リハビリの道は長く、終わりが見えない。涙が頬を伝い、絶望に飲み込まれそうになる。

「ロージー、一歩の転倒でトレイルランナーから患者になる。どれほど脆いのか…」と自問自答する。恐怖と絶望が交錯し、普段の対処法は使えない。走ることも泳ぐことも探検することも、抱きしめることもできない。

自信とアイデンティティという新たな山が足元にあるが、登り方が分からない。

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階段をよろめきながら、靴下を履き、深く自己反省することが山であれば、ハイドロセラピーのプールにゆっくり入ることが報酬だ。事故から2週間でプールに入れたのは、理学療法士の専門的なサポートがあったからだ。

最初の泳ぎの前に、プールの縁に座り、腫れた脚とマスクの中の息を感じる。前屈みになり、水に身を投げ入れると、重みが軽くなる。深呼吸し、水が肌を滑る感覚とタイルに映る光の揺らめきを意識する。数分間、骨折の痛みを忘れ、自由に泳げる喜びに浸る。

心も四肢も伸びていく。

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冒険は姿勢である

自分に厳しすぎることがある。大きな挑戦が好きで、常に次のハードゴールへ向かう自分を求める。進歩が見えないと焦り、夢に置き去りにされる恐れがある。自宅に閉じこもり、身体的回復以上の問いに向き合う:困難ができない自分は誰なのか? 本当の自分は好きだろうか? 期待の重さが足枷になる。

水面の波紋が重い思考を拡散させ、軽やかな動きだけが残る。ハイドロセラピーは単なるリハビリではなく、心の自由ももたらす。

選ばなかった山 選ばなかった山 選ばなかった山

数週間前は外での大冒険を渇望していたが、今はプールの中やスケッチブック、窓辺の小さな庭、そして再び海やトレイルで冒険が待っていると感じる。好奇心と高揚感が再び胸に灯り、プールに潜るたびに希望が湧く。

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私の結論はシンプルだ:冒険は姿勢である。極端な場所へ行くことやハードなことをすることだけが冒険ではない。好奇心、挑戦、目的のための苦労、視点の獲得、失敗を受け入れる姿勢が冒険だ。

遠征で培ったこの姿勢は、ソファに座っているときでも有効だ。夜勤は待ち受ける冒険、骨折した脚で階段を上ることは人格形成、絶望の数週間も癒しの一部。プールの水しぶきが希望を呼び、遠くへ行かなくても冒険は見つけられる。

ドサッ。 プールから出ようとしたとき、滑りやすい段差で足を滑らせ、骨折部位に鋭い痛みが走る。冷たい床に座り深呼吸し、ゆっくりと自宅へ戻る。姿勢だけでは現実は変えられない。足はすぐには治らないし、COVID-19もすぐには消えない。冒険の姿勢は疲れや恐怖、痛みの中では使えないこともある。練習が必要だ。

その夜、ソファに足を乗せて休むと、朝よりも心が落ち着いている。冒険への覚醒が不満を洗い流し、外に出ることへの渇望は残るが、ソファでも冒険は可能だと感じるのはスーパーパワーだ。

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再び階段を登る

次の日、階段の足元から再び登り始める。天窓の雲が歓迎してくれる。足取りは遅くなるが、確かな足場を得ている。選んだ山ではないが、これも冒険だ。脚が治り、パンデミックが終わったら、本当の山に戻るだろう。その時は特別で素晴らしい。

今年の誇り高い冒険は、心の中や自宅の扉の向こう側だった。冒険は姿勢だ。学び、育て、宝にすれば、どこにいても秘密の武器になる。



トラベルノート
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