中国支配下のチベット―ラサと周辺地域の実態
序章
広く新しく舗装された道路の向こう側にあるポタラ宮を眺めながら、赤い中国国旗が道路両側にずらりと並び、青い光を放つ警備ブースが夜風の中で冷たく光っていた。象徴的な建物の影に、警察の存在感がひしひしと感じられた。
期待と現実のギャップ
私がチベットに抱いていたイメージは、標高の高い高原に広がる乾いた荒野、雪に覆われた岩壁に建つ僧院、香の煙と僧侶の唱える声が漂う静寂な世界だった。実際に足を踏み入れたのは「チベット自治区」と呼ばれる中国領であり、そこは中国の占領が色濃く残る地域でもあった。
入域の手続き
チベットへ入るには中国政府が認めたツアーに参加しなければならず、ジャーナリストは職業を偽って申請するのが常套手段だ。私のネパール人ガイドは申請書に「看護師」と記入し、実際に入域できた。
ラサの現代化と監視
ラサは中国本土の他都市と同様に大きな中国語表記が目立ち、チベット語は小さく添えられているだけだった。新しい舗装道路や大型ビル、飲料やシャンプーの中国語広告が至る所にあり、空っぽの高層住宅が次々と建設中だ。旧市街の雰囲気は残っているものの、全体は圧倒的な近代化と監視体制に覆われている。
僧院や寺院は観光客を引きつけるが、内部と外部の至る所に監視カメラが設置されている。例としてエベレスト国立公園のロンブク寺院でもカメラと軍用車両が見られ、静寂が損なわれていた。
僧侶は政治的に敏感と見なされ、警官が僧装に偽装して監視に当たることもある。多くの僧院は破壊され、残されたものは博物館的な空間になりつつある。一方、尼僧院は比較的監視が緩く、ラサのアニ・ツァンクン尼僧院ではカメラも見当たらず、僧尼の祈りと食事を静かに体験できた。
バルコール広場と警備
ラサ中心部のバルコール広場は2008年のチベット抗議以降、金属探知機やスキャナーを通過しなければ入れないチェックポイントが設置され、軍用車両や機関銃を装備した警官が常に巡回している。
広場近くのジョカン寺院では、年配のチベット人が伝統的な信仰を続けているが、ダライ・ラマへの敬意は禁じられ、政府が任命したパンチェン・ラマへの崇拝が強制されている。
現地ガイドの悲しい体験
ツアーガイドの一人は、6歳のときに家族に密かに国境を越えさせ、ネパールとインドの山奥で暮らした。13年後に中国政府から「帰国しなければ家族の職が失われる」と脅され、帰国を余儀なくされた。帰国後は書類不備で1か月間拘束され、以後は毎月警察に出頭しなければならない「ブラックリスト」に載せられた。
彼女はラサの街中では車載カメラが音声まで録音しているため、自由に話すことができないと語った。郊外の静かな場所でしか、占領の実態を語れないと。
ジアンツェと残された古きチベット
ラサを離れ、最初に立ち寄ったジアンツェは1390年に築かれたジアンツェ・ゾンが岩壁から直接生えているようにそびえ立ち、旧市街の石畳や牛が戸口に繋がれた伝統的な家屋が残っていた。ここではまだ観光客向けの新しいコンクリート化が進んでいないため、古いチベットの雰囲気を体感できる。
結び
友人であるガイドは、再びインドへ渡ることができる日を待ち望んでいるが、現状では中国の急速な同化政策の中で「囚人」のように生きざるを得ない。チベットの子どもたちは中国語教育を受け、文化は本や映像に追いやられつつある。




