セーラムのシングルズ・アウェアネス・デー
バレンタイン・デーよりも「シングルズ・アウェアネス・デー」を選びませんか? 今日は、セーラムの歴史に残る著名な独身者たちを振り返ります。結婚しなかった選択や宗教上の理由、あるいは運命のいたずらなど、様々な背景で独身を貫いた人物たちをご紹介します。
キャロライン・エマートン(1866‑1942)
七つの屋根裏の家(The House of the Seven Gables)定住協会の創設者です。1908年にターナー‑イングァソール邸を購入し、2年間かけて博物館へ改装。1910年に開館し、入場料収入を新移民家族の定住支援に充てました。医療クリニックや市民権取得講座、英語教室、裁縫教室などを設け、移民の生活基盤を整えました。現在も教育プログラムを提供し、博物館と定住ハウスを兼ねる唯一の米国組織として機能しています。エマートンは一生独身で、セーラムの慈善活動に身を捧げました。
ウィリアム・ベントレー牧師(1759‑1819)
近所の噂好きとして知られた人物です。彼の日記には天候や町の死者、近隣住民への鋭い意見まで、さまざまな出来事が記録されています。1783年から東教会(East Church)の牧師を務め、当時としては進歩的な神学者でした。ニューイングランドにおけるユニタリアニズムの発展に寄与し、教会を通じて政治的・宗教的リベラリズムを推進しました。
スザンナ・イングァソール(1783‑1858)
七つの屋根裏の家で生まれ育ち、母親の死後に財産と家屋を相続しました。1812年の米英戦争中、海岸で英国艦が巡航する様子を上階の窓から見ながら、戦時下でも不動産取引に積極的に取り組み、1812‑1815年の間に17件の土地を購入しました。晩年までに70件以上の土地を取得・売却し、ニューニューイングランドで最も裕福な土地所有女性となりました。1840年代の資産は約25万ドル(現在の数百万ドル相当)に上ります。法的文書では「スザンナ・イングァソール、シングルウーマン(独身女性)」と記されています。
ローズ・ホーソーン・ラスロープ(1851‑1926)
ナサニエル・ホーソーンとソフィア・ピーボディの娘で、ジョージ・パーソンズ・ラスロープと短期間結婚しましたが離婚後、経済的に困窮する末期癌患者の支援に尽力しました。後に修道女マザー・メアリー・アルフォンサとなり、医療支援を基盤とした修道会を創設。現在、ニューヨーク州ホーソーンに拠点を置くドミニカン・シスターズ・オブ・ホーソーンが、同様の支援活動を続けています。
メアリー・クラウンサールド・シルビー(1809‑1887)
上院議員ナサニエル・シルビーの娘で、セーラムのダニエルズ通りで育ちました。ナサニエル・ホーソーンと婚約した噂があり、ホーソーンの妻ソフィア・ピーボディは「メアリーを窓から突き落とす」と脅したとされています。最終的に婚約は破棄され、ホーソーンはソフィアと結婚しました。
フレデリック・タウンゼント・ワード(1831‑1862)
セーラム出身の船乗りで、太平天国の乱において清朝側の指揮官を務めました。15歳でメキシコへ渡り、様々な船舶で働いた後、最終的に上海に定住し、反乱軍を率いて数々の勝利を収めました。その部隊は「常勝軍(Ever Victorious Army)」として知られました。14度の負傷を乗り越えたものの、1862年に腹部負傷を負い戦死したため、独身者としてこのリストに名を残しました。




