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第一印象:サンクトペテルブルクに暮らすアメリカ人の視点

アメリカ人の学者リンジー・コマーは、ロシア・ユーラシア研究の修士課程をサンクトペテルブルクで1年過ごしました。学生寮を辞め、現地のバブーシュカ(お年寄り)と同居する小さなアパートに住み、ロシアの政治・経済の仕組みを肌で学びました。やがてロシア文化に魅了され、夫とエストニアに別荘を購入して野菜畑を耕す日々を送っています(羨ましいですよね)。彼女のブログ『Life in Russia』を通じてインタビューを実施し、ロシアやその人々、文化に対する第一印象を伺いました。

第一印象:サンクトペテルブルクに暮らすアメリカ人の視点

ネフスキー通り、訪問者の拠点となった場所。

人々について

1999年、金融危機の翌年、私は父と共にベラルーシ国境近くのセルツォを訪れました。交換留学生の家族を迎えるための旅で、以前ロシアを訪れた際に知り合ったルバ一家が温かく迎えてくれました。バーニャに入ったり、地元の市場で食材を選んだりと、ロシア文化に触れる機会をたくさん与えてくれたのです。16歳の内向的な少女だった私は当時、すべてが圧倒的に感じましたが、後に歴史に興味を持ち再びロシアへ足を運びました。

欧州大学サンクトペテルブルク校の修士課程に進学し、ネフスキー通り沿いの小さな部屋を借りました。大家は70歳のバブーシュカで、図書館でフルタイム勤務しながら外国人に部屋を貸すことで生活を支えていました。年齢に似合わずエネルギッシュで、家族や友人との食事、劇場鑑賞を楽しむ姿に、私は次第に彼女のたくましさとシンプルな喜びに惹かれるようになりました。

第一印象:サンクトペテルブルクに暮らすアメリカ人の視点

バブーシュカではなく、まるで魂の姉妹のような存在。

態度・マナー

ロシア人は公共の場では率直で真面目です。アメリカ人が好むスモールトークはあまりなく、プライベートな会話は親しい間で行われます。私がサンクトペテルブルクに来て数か月の間に、知らずにマナー違反をして何度も叱られました。例えば、野菜をレジで支払う前に自分で袋詰め・計量・価格表示をしなければならないことを知らず、レジ係に怒鳴られた経験があります。また、街中でヘッドホンを付けて歩いたり、歩行者専用エリアに入ったりすると注意されます。

銀行の列は整然としていません。窓口が開く順番は自由で、30分待った後に自分で順番を抜くと大声で叱られました。慣れてくると、ロシア流のやり方が徐々に理解でき、受け入れられるようになりました。

第一印象:サンクトペテルブルクに暮らすアメリカ人の視点

勝利の日に見られる兄弟愛の公開表現。

雰囲気と生活リズム

ロシアの指導者は強硬で、イメージとしては勤勉すぎる国民だと思いがちですが、サンクトペテルブルクの人々は意外と余裕があります。市場経済は発展途上で、過度な経済的プレッシャーを感じずに暮らす人が多いのです。

街を歩けば、結婚式が公園で行われている光景が日常的に見られます。アメリカでは平日には仕事の都合で難しい結婚式も、ロシアでは水曜日でも気軽に祝える雰囲気があります。

第一印象:サンクトペテルブルクに暮らすアメリカ人の視点

スカーレット・セイルズ(赤い帆)の祝祭。

米国へ帰国後、日常のストレスに圧倒されがちですが、ロシア人は時間をかけて小さな喜びを祝う文化があります。夏になると「白夜祭」が開催され、5月から7月まで太陽が夜中2時まで沈まず、昼と夜の境界が曖昧になる中で芸術や音楽が楽しめます。40〜50度の寒さでも、まだ雪が残るピョートル・ポール要塞のビーチに人々が日光浴に訪れます。

6月下旬の「スカーレット・セイルズ」では、ネヴァ川沿いで花火やパレード、船のショーが行われ、ビールやシャンパンを手にピクニックや散歩を楽しむ姿が見られます。ロシアの歴史は激動で、厳しい環境の中で人々は家族や友人への感謝を大切にしています。米国の個人主義とは対照的に、コミュニティや兄弟愛が強く感じられます。

第一印象:サンクトペテルブルクに暮らすアメリカ人の視点

日差しの中で踊る姿。

鉄道で巡る旅

学期の合間や締め切り前の休息に、夫とともに鉄道で周辺国へ出かけました。ラトビア、リトアニア、エストニア、ウクライナ、ロシア各地を巡り、東欧の文化にどんどん惹かれていきました。飛行機よりも列車を選んだのは、複数都市を一度に訪れる効率と、車窓から見える風景を楽しむためです。車内で他国の旅行者と会話したり、現地の人々が親切に道案内してくれたりする経験は、旅の大きな魅力でした。

第一印象:サンクトペテルブルクに暮らすアメリカ人の視点

ムルマンスクの象徴的なクレーン。

異国情緒と北極圏

ある旅で北へ向かい、ムルマンスクという極寒の街に到着しました。27時間にわたる列車の旅は、次第に文明から遠ざかる感覚を強めました。到着すると、山々に囲まれたソ連時代の建築と巨大貨物船、そして永遠に続く薄明かりが広がります。冬は太陽がほとんど昇らず、人工の光が幻想的な雰囲気を作り出します。観光はほどほどにし、暖かい室内でチーズやパン、ワインを楽しみました。ウクライナ料理の小さなレストランも見つかり、意外な美味しさに驚きました。観光名所としてはメインではありませんが、他では味わえない独特の空気を体感できる貴重な場所です。

表面の向こう側を見る

多くの人がロシアを「硬く、冷たく、近寄りがたい」国だと先入観を持っていますが、実際は環境と歴史が作り出した防御的な姿勢です。その外側にあるのは、親切で助け合いを大切にする人々です。モスクワのホテルバーで出会った外見は硬いビジネスマンも、実は熱心に会話を楽しんでくれました。

1999年の初訪問時はロシア史や苦難の背景を知らず、冷たく見えていました。しかし1年の滞在で生活し、食事し、友人と過ごすうちに、ロシア人の温かさと招待的な性格に気づくことができました。

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本インタビューはFathomのダニエル・シュワルツが執筆・編集しました。


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