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ケニアのカラフルな群衆に抗えないときは、参加しよう

ケニアのカラフルな群衆に抗えないときは、参加しよう

概要

一枚の驚くべき写真はそれだけで語りますが、見た目以上のストーリーがあります。南アフリカ・ケープタウン在住の英国人写真家トム・ピアスに、この写真の背景を語ってもらいました。

撮影対象・機材・ポイント

対象:ケニア・トゥルカナ県の部族行進
使用機材:Nikon D800
撮影のポイント:被写体が不快に感じたらすぐに画面から離れられるよう、行動ははっきりと示すこと。

撮影の経緯

この写真は2017年6月、ケニア・トゥルカナ県で行われた選挙前の政治集会で撮影されました。同時期はマダラカ・デイ(1963年にケニアが自治権を得たことを祝う祝日)でもあります。私は選挙期間中に部族間の対立が激化するのを防ぐため、部族間の平和を訴えるプロジェクトに取り組んでいました。小さな村々で部族間の団結の姿を撮影しようとトゥルカナへ向かう途中、二つの政党に分かれた数千人の行進に巻き込まれ、通り抜けられなくなったため、私たちはその行進に参加することにしました。

光と機材の工夫

私は光を使うこと、そして人物を光で際立たせることが好きです。人々の表情や雰囲気をはっきりと捉えることが重要だと考えています。車から降りた瞬間に、Nikon D800にワイヤレスストロボトリガーと35mmレンズを装着し、Profoto B1ライトをスタンドに設置しました。ライトには通光傘をテープで固定し、傘が破れる可能性を覚悟で使用しました。本来ならもっと小型で扱いやすいB2を使うべきでしたが、手元に無かったためです。

群衆との関わり方

私たちはカメラを向ける対象のすぐ横に助手を配置し、傘が画面に映り込まないように配慮しました。人々を驚かせないように、行進の真ん中に身を置き、彼らと同じペースで動きました。行動が明らかだったため、撮影に不快感を覚えた人はすぐに離れることができました。これは被写体の自由と安心感を尊重する上で非常に重要でした。

仕上げと結果

驚くことに、最終的な編集はほとんど必要ありませんでした。色彩は既に極めて鮮やかで、木陰の光も完璧でした。元画像から少しだけトリミングし、ハイライトを抑え、赤味を若干デサチュレーションしました。D800はやや赤みがかる傾向があるため、常に行う調整です。


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