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ネベルメール – 女性登山家の足跡とアルプスの冒険

歴史的背景

女性は長い間、ハードで持続的な登山ルートに挑んできました。1871年、風刺誌『Punch』は、マッターホルンを初めて登頂した英国のアルピニスト、ルーシー・ウォーカー嬢の功績を称え、『No peak rise above her(どの峰も彼女の上に立たない)』という不朽の言葉を掲載しました。この言葉は現在、アート・ヴァレ州の壁画として、ウォーカーの顎のラインを強調したグラフィティに刻まれています。マッターホルン博物館の外壁にも、アルプスクラブとツェルマット町の協力で設置された150周年記念プレートがあり、さらには彼女の名前が付いたチョコレートやビスケットまで販売されています。

女性登山家の再評価

しかし2021年現在、150年前に数々の初登頂を成し遂げた女性アルピニストたちの存在は、文化部門や登山史の中で依然として過小評価されています。ツェルマットのマッターホルン博物館で開催された臨時展示『New Perspectives(新たな視点)』は、女性登山家に焦点を当て、彼女たちがどれほど歴史から抹消されてきたかを統計データとともに示しました。展示の一文『20世紀中頃まで、社会は「英雄的な男性性」だけを価値あるものとし、女性パイオニアの話題を避けてきた』は、現代に残る課題を浮き彫りにしています。

アルプスでの体験

私は、ルーシー・ウォーカーが1865年7月8日に登頂したブレイトホルン(標高4,164m)や、1873年7月26日に登ったジナルロートン(標高4,221m)といったアルプスの峰を再び踏むことで、彼女たちが残した価値観や仲間意識を体感しようと決意しました。英国、フランス、ウクライナ、ポーランド、スイス、米国から集まった女性クライマーたちが、リーダーや格付けに縛られず、対等に山を登る『Women Rise Up』ミートアップを開催。私たちは、ロープを共有し、見知らぬ仲間と即興でアルプスルートを計画し、心拍数がECGのように上下する緊張感の中で登攀しました。

スイス・ヴァレー州ランダのキャンプ場で、4,000m級の峰を背にしながらビールやアップルシューレを飲み、次の目標を語り合いました。ジナルロートン、ドリ・ホルリーニ、ブレイトホルン横断、ヴァイスホルン、そしてマッターホルンへと、女性同士の登攀が持つ原始的な興奮と少しの恐怖を共有したのです。

『Nebelmeer(雲の海)』

ブレイトホルンの中央部で、私のスイス系米国人パートナー、モランが『Nebelmeer』と囁きました。鋭い頬骨とフェーン風に焼かれた肌、日差しを受けた髪とサングラスが、トラバースの背骨のように光ります。誰もいない稜線で、私たちの頭の中には『落ちない』というマントラが鳴り響きます。岩の切れ端や氷の裂け目を慎重に踏み、時にスリップの危険がある軟らかい斜面を迂回しながら、私たちは「半トラバース」の赤い岩壁を登り切ります。

ロープは私たちを包み込み、稜線の鼓動のように緊張と緩和を繰り返します。パートナーの足取りは滑らかで、急な谷や小さなリッジを確実に捉え、私も彼女のリードに続く形で登ります。時折、私の足元が不安定になると、彼女の確かな判断が背中を支えてくれました。

ブレイトホルン北壁の露出した稜線で、わずかなミスが致命的な結果を招くことを実感しながら、私たちは自分の不安と向き合いました。雲海(Nebelmeer)を眺めながら、カメラで瞬間を切り取り、やがてクライン・マッターホルンのリフト駅を通り過ぎ、遠くのレフュージ・ド・チェルヴィーノへと下山しました。

歴史と現在の交差点

この旅は、ルーシー・ウォーカーとアメリカ人クライマー、メタ・ブレヴォートの足跡を辿るものでした。ヴィクトリア朝の厳格な社会背景の中で、彼女たちが切り開いた道は、私たち現代の女性クライマーにとっても大きなインスピレーションです。山頂での斧の音、笑い声、そして雲海に浮かぶマッターホルン――それはまさに、二隻の船が未知の海へと漕ぎ出すような感覚でした。



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