エベレストベースキャンプで挑むポーター体験
はじめに
二日目に、頭の中の悪魔が私の能力と正気を疑い始めた。自信満々だった自分が背中に重くのしかかる荷物とともに崩れ落ちそうだ。二年前にカフェインで燃やした夢が、今や悪夢へと変わりつつある。高地のポーターとして働けるはずがない――そんな自問自答が止まらない。
ポーターとは
ヒマラヤでは、ほとんどの装備をポーターが背負って運んでいる。観光客や登山者、ホテルやロッジの荷物を運び、他人の夢を実現させる存在だ。私も背中に約35kgを背負い、51歳の白い肌のジンジャー系スコットランド人として、エベレストベースキャンプへの道を登っている。
動機と計画
二年前、ネパール西部のリミ高原でテントに寝かせられたまま眠れない夜を過ごしたとき、ポーターの仕事に興味を抱いた。彼らはトレイル上に溢れているが、生活や働きはほとんど見過ごされている。そこで自分の目で確かめようと、計画を立てたのだ。
苦難の始まり
ルクラから二日後、体調は急激に悪化。嘔吐が止まらず、麺類は飲み込む前に戻ってくるような感覚だ。別のポーターに荷物を任せて自分はカメラだけを持ち歩くべきかと葛藤した。私はこのルートを17回も歩いた経験があり、建物や橋、山並みはすべて知っているが、重い荷物を背負うと視界は数歩先だけに限られ、前かがみになるのが常態になる。
ポーターへの敬意と交流
私は自分の挑戦と、ポーターの生活を知ることが目的だと自覚している。失敗は許されない。誇りと頑固さが私の薬になる。道中、世界中から来たトレッカーやポーターに不思議がられ、まるで大きな殻に閉じ込められたカメのように見られたが、そこは自分への刺激でもあった。
装備の工夫
現地のポーターは「ナムロ」と呼ばれる頭に掛けるストラップで最大100kgもの荷物を運ぶ。私は古いリュックを改造し、二つのクライアント用バッグを支えるフレームに変えた。そのリュックに「ヴェラ」と名付け、まるで星のように大切にしている。ネパール人のポーターはナムロを好むが、私にとってはヴェラが唯一の頼みの綱だ。
体と心の変化
8日目には体調がかなり回復し、毎朝の第一声が「またか…」から「今日も挑戦しよう」に変わった。4400mのディングボチェで標高線を越えたとき、心の悪魔は消え去り、自分は狂っていないと確信した。ポーターたちとの距離も縮まり、会話に加わってくれ、休憩時には一緒にビデオカメラを取り出す手伝いまでしてくれた。
ポーターの生活実態
「自分の宿泊費と食事代は自分で払う。ほとんどのポーターは1日1食でやりくりしている」とロビーン・タマンは語る。パサング・ノル・シェルパは「会社から1000ルピー支給されても、実際は750ルピーしかもらえない。食費が足りない」と嘆く。彼らはダール・バート(レンズ豆のスープとカレー野菜を乗せたご飯)を大量に食べても、私のように余分なカロリーを買う余裕はない。
体重と疲労
5~9時間、35kgの荷物を背負い続けた結果、最終的に約8kg体重が減少した。荷物を降ろすとすぐに「引退宣言」したくなるが、現地のポーターはシーズンに2~3回、あるいは5回もトレッキングを行う。女性ポーターのパサング・ドマ・シェルパは「12年やってきたが、もうすぐ引退する。子どもたちを良い学校に送りたい」と語り、ポーター生活は決して楽ではないと示す。
頂上での感動
ゴラクシェプのロッジにたどり着いたとき、胸が熱くなった。夢を抱えて出発し、苦しみ、揺れ動き、最後に頂点に立った。ポーターの荷物を背負いながらも、人生の一部としての「重さ」を実感した。マン・バドゥル・ライに「仕事は楽しいか?」と聞くと、彼は「仕方がない、背負わなければならない。重いが、何かを得るために頑張る」と答えた。
まとめ
この一度きりの挑戦で、ポーターの過酷な現実と、彼らが持つ誇りと忍耐力を間近で見ることができた。私にとっては貴重な経験であり、同時に彼らの生活が決して「良い」ものではないことを改めて認識した。








