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アメリカ初の大聖堂 カテドラル・プリマダ・デ・アメリカ

アメリカ初の大聖堂 カテドラル・プリマダ・デ・アメリカ

歴史

西半球で最も古く現存する大聖堂、カテドラル・プリマダ・デ・アメリカの礎石は1514年にクリストファー・コロンブスの息子ディエゴ・コロンが敷きました。父子の遺骨が礼拝堂の地下室に安置されていたという伝説も残っています。実際の建設は1521年、最初の司教アレハンドロ・ジェラルディーニの到着とともに始まり、1521年から1540年にかけて複数の建築家が手掛け、ゴシックのヴォールト、ロマネスクのアーチ、バロックの装飾が融合した独特の様式が形成されました。

当初計画されていた鐘楼は、街並みを一望できる絶景スポットになるはずでしたが、資金不足のため完成に至りませんでした。

被害と復元

1586年、フランシス・ドレーク卿率いる海賊団の襲撃により大聖堂は大きな被害を受けました。略奪された貴重品と共に内部は広範に破壊され、現在の内部は当初の設計とは大きく異なる姿となっています。

見どころ

特筆すべきは壮麗なヴォールト天井と、装飾が施された14の内部礼拝堂です。訪問時は肩と脚を覆う服装が必要で、現地でショールが無料で配布されます。

地元住民は「アメリカで最初の大聖堂」と誇りますが、実はメキシコシティに1524~1532年に建設された大聖堂が先行しており、1573年に現在のカテドラル・メトロポリタナに取って代わられました。

訪問情報

チケットは南東入口で購入できます。料金には多言語対応のオーディオガイド(50ペソ)が含まれます。ミサは月曜~土曜の午後5時、日曜は正午と午後5時に執り行われます。

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