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初めてのモーターバイク体験

デリーの狭いアパートの片隅で、ジャムーからキラールへのバイク旅の行程を書き留めようとキーボードに向かうと、過去に残したものの大切さに気づいた。人生に深く刻まれる経験は数少ないが、インド各地から集まった60人以上のライダーと過ごしたこの1週間の旅は、まさにそのひとつだった。

別れと再会の瞬間

昨日まで一家族のように走り、互いの生活を分かち合っていた仲間たちが、今日ではそれぞれの道へと散っていく。湿った目をした人も、胸が重くなる人もいる。その様子は、二つの全く異なる物語を語る一枚の写真のようだ。

初めてのモーターバイク体験

初めてのモーターバイク体験

ライダーの意外な一面

バイク乗りは冷徹で、仲間意識が希薄だとずっと思っていた。しかし、実際には全く逆だった。数日間で、まるで生涯の友人のように打ち解けたのは、乗り合いの力と互いを思いやる心があったからだ。日差しの強い中、遅れたライダーを待つためにジャケットの中は蒸し暑くても、誰一人不満を口にしなかった。

初めてのモーターバイク体験

初めてのモーターバイク体験

誰かが転んだらみんなが手を差し伸べ、食事が足りない人には分け合い、まるで大きな家族のように前へと進んだ。

初めてのモーターバイク体験

初めてのモーターバイク体験

不安からの脱却

最初にブロガーとして参加したときは、同乗者のサチエンドラ・パルに身を委ねることへの不安や、旅が退屈になるのではないかという恐れがあった。自分だけが浮いてしまうのではないかと心配したが、実際には会話の相手がいなくて困ることはなかった。必要だったのは少しの練習と、皆が別れを惜しむときに濡れた目を拭く余裕だった。

初めてのモーターバイク体験

思い出と学び

短くても眩しい旅の中で、笑い合い、ジョークを交わし、ハッピーな自撮りを撮った。誰がどれだけ楽しんだかは人それぞれだが、最後に残ったのは、目に刻まれた数々の楽しい思い出と、旅を通じて自然と学んだ人生の教訓だった。


旅行ガイド
  • メルボルンで出会った、最初のスープへの恋

    編集者からの追記: このレストランは素晴らしかったですが、残念ながらBrothlは閉店しました。記事は削除せず、素晴らしいコンセプトは残したいと思います。 メルボルンは世界で最も住みやすく、幸福度の高い都市の一つとして常に上位にランクインしています。今夏、Fathomのパビア・ロザティが初めて訪れ、すぐに恋に落ちました。その中でも特に印象的だったのが、骨スープのトレンドを先取りした新レストラン『Brothl』です。 Brothlとは Brothlは「売春」ではなく、スープと骨、そして長テーブルでの共同食事をテーマにした場所です。名前の母音抜きは、モダンな遊び心と、創業者ジョースト・バッカーが掲げるゼロ・ウェイスト哲学の象徴です。ジョーストは第5世代のチューリップ農家で、レストラン経営者というよりは、温室・垂直農園・住宅・商業施設のサステナブルなデザインを手掛けるクリエイターです。 シンプルな注文フロー 入店すると、狭い空間を縦に走る長テーブルに座るまで待ちます。テーブル上のプレイスマットにメニューが印刷されており、まずベースとなるスープ(オーツ、ビーフ、チキン、フィッシュ、ベジタブル)

  • 東京ランチ体験:初めてのしゃぶしゃぶ

    読者のエステラ・ゴールドさんから、東京で初めてしゃぶしゃぶを体験したエピソードをポストカードでいただきました。 東京—休暇中はほとんど体重が減ります。その理由は、①常に動き回っていること、②特別な料理だけを食べたくなるからです。自宅では古くなったドーナツ箱をそのまま食べても構いませんが、日本では本格的な和食や、ここでしか味わえない贅沢な料理だけを選びます。 そのため、朝食と午後2時30分までの間は何も食べずに我慢しました。お腹はすごく空いていましたが、昼食は「浅草今半」でしゃぶしゃぶを食べる予定だったからです。浅草今半は、ロングリストで紹介された浅草散策のおすすめ店で、上質なしゃぶしゃぶを提供する日本のチェーン店です。 しゃぶしゃぶとは? 「しゃぶしゃぶ」という言葉は、肉を鍋の中でひらひらと動かす音を表す擬音です。大きな鍋に沸騰した出汁を置き、横に薄切りの牛肉や野菜、麺、タレを並べます。肉を数秒間さっと湯通しし、好みのタレにつけて食べます。シンプルながらも、素材の旨味が引き立つ料理です。 浅草今半には表参道通り側の大型店舗と、オレンジ通り側の小型店舗の2店があります。私は表参道通り側

  • 第一印象:サンクトペテルブルクに暮らすアメリカ人の視点

    アメリカ人の学者リンジー・コマーは、ロシア・ユーラシア研究の修士課程をサンクトペテルブルクで1年過ごしました。学生寮を辞め、現地のバブーシュカ(お年寄り)と同居する小さなアパートに住み、ロシアの政治・経済の仕組みを肌で学びました。やがてロシア文化に魅了され、夫とエストニアに別荘を購入して野菜畑を耕す日々を送っています(羨ましいですよね)。彼女のブログ『Life in Russia』を通じてインタビューを実施し、ロシアやその人々、文化に対する第一印象を伺いました。 ネフスキー通り、訪問者の拠点となった場所。 人々について 1999年、金融危機の翌年、私は父と共にベラルーシ国境近くのセルツォを訪れました。交換留学生の家族を迎えるための旅で、以前ロシアを訪れた際に知り合ったルバ一家が温かく迎えてくれました。バーニャに入ったり、地元の市場で食材を選んだりと、ロシア文化に触れる機会をたくさん与えてくれたのです。16歳の内向的な少女だった私は当時、すべてが圧倒的に感じましたが、後に歴史に興味を持ち再びロシアへ足を運びました。 欧州大学サンクトペテルブルク校の修士課程に進学し、ネフスキー通り沿いの