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ロワール川でレオナルド・ダ・ヴィンチの足跡をたどる

レオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年を記念し、世界各地で企画された展覧会や追悼イベントが開催されています。ニューヨークのメトロポリタン美術館、ロンドンのバッキンガム宮殿クイーンズギャラリー、そして2020年2月24日まで開催されたルーヴル美術館の展覧会が特に有名です。レオナルドが最期を過ごしたロワール渓谷は、彼の人生と作品が今も息づく宝庫です。ローマ特派員でモダンアート好きのエリカ・フィルポが、ロワールで残されたレオナルドの遺産を巡ります。

ロワール渓谷、フランス – モナ・リザ、最後の晩餐、ウィトルウィウス的人体図、さらには2017年に4億5030万ドルで落札された謎の『サルヴァトール・ムンディ』まで、レオナルドの作品はすべてイタリアを象徴しています。ではなぜフランスまで足を運んだのでしょうか。

1452年に生まれた万能の天才は、ミラノやフィレンツェといったイタリアの大都市で絵画・建築・工学の傑作を残しました。しかし、1515年にフランス王フランソワ1世(レオナルドの熱烈ファン)がアンボワーズ城に招いたことで、64歳のレオナルドはロワール渓谷へ移り、王のために新たなアイデアを練り続けました。

私もレオナルドの足跡を追い、500年の節目を祝う長週末を過ごしました。1519年5月にロワールで亡くなったレオナルド。その遺産は今も渓谷に息づき、訪れる人々を魅了し続けています。

ロワール川でレオナルド・ダ・ヴィンチの足跡をたどる

レオナルドが眠った場所:アンボワーズ城とクロ・リュセ

最初に訪れたのは、ロワールを見下ろす丘の上に建つ灰色の石造りのアンボワーズ城です。15世紀からフランス革命まで、ヴァロワ王朝やブルボン王家の離宮として栄えました。現在はフランス史を語る重要な遺産となっており、レオナルドが過ごした3年間は短いものの、深い足跡を残しています。

城内では「L'Histopad」というタブレット端末を使い、ルネサンス時代の情景を部屋に重ね合わせて見ることができます。訪問前にスケジュールを確認し、コンサートやマルチメディアイベントが開催される日を選べば、まるでクィディッチの舞台に立っているかのような体験ができます。

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レオナルドの遺言に従い、彼はアンボワーズの聖フロレンティン教会に埋葬されました。教会は革命期に破壊されましたが、1863年に遺体が再発見され、現在はサン・ユベール礼拝堂に安置されています。礼拝堂の床には「Leonardo da Vinci」の名が刻まれたコンクリート板とブロンズ製の肖像ディスクが置かれ、ここが彼の最後の安息の地です。

パリから電車で1時間のアンボワーズは、朝だけの訪問でも、丸一日・夜まで滞在しても楽しめます。フランスらしい街並みとカフェは、時間を忘れさせてくれます。

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次に向かったのはクロ・リュセ城。ここはレオナルドの“ピエ・ド・テール”であり、フランソワ1世が任命した“王の第一画家・エンジニア・建築家”としての活動拠点でした。かつては二つの城を結ぶ地下通路がありましたが、現在はほとんど立ち入りできません。クロ・リュセは1519年当時の姿に忠実に復元され、レオナルドが部屋に入り、ベッドに横たわり、食事をし、次の発明を思案する光景が想像できます。

内部を見学した後、地下室に足を運びました。そこにはレオナルドの設計図を基にした40点の模型が展示されています。ヘリコプターや自走車、パラシュート、戦車、そして有名な飛行機械などです。庭では実物大の再現が施され、回転橋や攻撃戦車など、レオナルドが考えた奇想天外な発明に触れられます。

さらに、19世紀の倉庫を利用した展示室では、バチカン美術館でしか見られないはずの《最後の晩餐》のタペストリーに出会いました。このタペストリーはラファエロが1500年代初頭にデザインしたもので、レオナルドの1498年の絵画に触発されたものです。全長約9メートル、高さ約5メートルの大作は、バチカンの修復ラボで手入れされた後、クロ・リュセで初公開されました。

現在開催中の展覧会『Leonardo da Vinci and France』では、レオナルドとフランス・ルネサンスの関係を探ります。アンブロワーズ・ドゥボアが描く《モナ・リザ》のレプリカや、ドナテロの《ダビデ》青銅像のコピー、そしてレオナルドの手稿に基づく機械ライオンが展示されています。

館内のレストラン『L'Auberge du Prieuré』は、16世紀初頭のレシピを再現した料理を提供。歴史の味を文字通り体感できます。

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ドメーヌ・ド・ショーモン

次に選んだのは、レオナルドの足跡を追うか、他の城を巡るかのジレンマ。ロマンティックな都市計画『ラムラタン』や、フランソワ1世が建設した『シャンボール城』に足を運ぶか迷いましたが、最終的に選んだのは『ドメーヌ・ド・ショーモン・シュル・ロワール』です。ここはゴシック様式の城と広大な庭園、そして現代アートが融合した理想的なスポットです。

かつてはメディチ家のキャサリン妃が所有し、ヘンヌス・ド・ポワティエが住んでいたこの城は、現在は毎年12人のアーティストが参加する『芸術と自然のセンター』の拠点となっています。部屋は当時の家具や壁画が残り、現代アートのインスタレーションが季節ごとに入れ替わります。

敷地内を散策すると、エル・アナツイ、ジュゼッペ・ペノーネ、川又忠の作品に出会えます。特にスターヴン・ゲランの『Le Nid Des Murmures(ささやきの巣)』は、浮かぶ結晶体とささやき音が流れる暗闇の空間で、時間が止まったような感覚に陥ります。馬小屋はエルメスが手がけた復元工事が施され、ヴィンテージのサドルや鞍が展示されています。

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毎年開催される『国際庭園祭』では、世界中のランドスケープアーティストがテーマに沿った庭園を創造します。今年のテーマは「楽園の庭」。ダンテ的な光景を期待したものの、未来的なユートピアやデジタルインタラクティブガーデン、禅のオアシスなど、ブラックミラー的な現代的解釈が多数展示されました。

3日間にわたる城巡りは圧倒的な体験でした。レオナルドとロワールの全てを吸い込み、やがて現代へと戻る準備が整いました。最後に気づいたのは、ロワールの緑が人々を惹きつける理由です。レオナルドがイタリアを離れたのは、単なる報酬や豪邸のためではなく、自然そのものに魅せられたからだと感じました。

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旅の計画

アクセス方法
パリからは高速列車でオルレアンまで1時間、ツールまで2時間です。ツール駅はヴィクトル・ラルーが設計し、現在はオルセー美術館の前身となっています。21世紀に入ると、ダニエル・ビューレンがトラムにカラフルなストライプを施し、パリの風景に新たな彩りを加えました。

移動手段
レンタカーが便利ですが、体力に自信があれば自転車もおすすめです。Loire Valleyは8つの都市にレンタルステーションがあり、平坦な道が続くためサイクリングに最適です。

天候情報
ロワール渓谷はマイクロクライメートで、曇り、晴れ、湿度が高い、蒸し暑い、寒いと、1日で様々な天候が変化します。防水性のある快適な靴を用意し、天候に合わせた装いで訪れましょう。

レオナルド関連情報 – フランス他地域でも

レオナルド・ダ・ヴィンチ展(ルーヴル美術館、パリ) – 2020年2月24日まで開催

Leonardo da Vinci(ウォルター・アイザックソン著) – ベストセラー伝記

Leonardo da Vinci: Anatomy – iPadアプリでスケッチを閲覧

Leonardodavinci.net – ファンサイト


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