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ビデオ:コペンハーゲンの爽やかなツアー

ビデオ:コペンハーゲンの爽やかなツアー

前回、スリル好きの映像作家マルコ・ロスはチュニジアでカイトサーフィンをしていましたが、今回は兄とともにゆったりとしたコペンハーゲン旅行に挑み、美しい人々と自転車が彩る街のビデオポストカードを届けてくれました。

質問:コペンハーゲンへは何がきっかけでしたか? 兄のヘンリックとフランクフルトで知り合った友人を訪ねたくて、旅を計画しました。

質問:最終日に知っていたら最初に知っておきたかったことは? カメラ禁止エリア「クリスチャンニア」へ入る際、隠しカメラが必要だということです。

良かった点: 人々がみんな美しく、フレンドリーだったこと。

残念だった点: ドイツに比べて物価が高いこと。

驚き: ほとんどの人が自転車に乗っており、アムステルダムに似た自転車文化が根付いています。

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マルコの兄ヘンリックと友人ニクラス。

スピードラウンドのお気に入り

1. 食事: アイスクリームとフルーツを添えたワッフル。動画で見る通り、出来立てです。

2. 探索したい地区: クリスチャンニア。自作の工芸品やアート、そして大麻が販売されている自律地区で、カメラは禁止されています。出入り口の看板には「Welcome to the European Union」とあり、独自の国としてのルールを持っています。

3. 体験したこと: ポップアップレストラン「Rødder(ルート)」でディナーを楽しんだ後、バー巡り。The Living Room、Floss(プール台付きのスモーキーな雰囲気)、Francis Pony Bar、The Jane(図書館のようなカクテルバー)、Strøm、Studenter Caféen、The Moose、Zefsideと夜を満喫しました。

4. カフェ: 二日酔いに最適なブランチはCafé 22。

#1 のアドバイス: まずは現地の人と話しかけてみましょう。必ず新しい友達ができます。


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トラベルノート
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