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ゴーストランチ:モダンな南西料理

サリー・J・クレイセン著

写真:マーク・リプチンスキー

シェフの背景

アリゾナ出身で高い評価を受けているシェフ兼レストラン経営者のアーロン・チェンバリンは、幼少期に味わった風味をベースに、テンプのサウス側、Rural と Warner の交差点に新たにオープンしたゴーストランチで、南西料理を現代的に蘇らせています。

メニューの特徴

「90年代初頭、南西料理は米、豆、チーズを中心としたボリューム満点のメニューが流行っていましたが、今はその活気が薄れています。私は伝統的な南西とメキシコの味を取り入れつつ、軽やかで洗練された料理を提供したいと考えました」とチェンバリンは語ります。

ゴーストランチでは、カウボーイステーキ、グリーンチリバーガー、タコス、チリ・コロラド風チリで煮込んだポークエンチラーダなど、古典的なメニューを新たに解釈。シェフはバランスの取れたポーション、季節の食材、考え抜かれたソースにこだわり、エビのセビーチェやトラウト、ベジタリアン向けの皿、柑橘系のアクセントが光るサラダなど、チップとチーズの山盛りからは遠ざかったヘルシーなラインナップを提供しています。

「毎日の訪問に気軽に入れる南西料理の店を目指しました。黒豆スープにサワークリームを添えた一杯や、さわやかなサラダがその一例です」と語るチェンバリン。

名前はジョージア・オキーフがニューメキシコに持っていたスタジオ兼自宅「Ghost Ranch」から取り、テキサスからバハまで幅広い地域の影響を受けた現代的な南西料理を提供するというビジョンを象徴しています。

店内デザイン

地元アーティストでデザイナーのジェンナーロ・ガルシアが、砂漠の淡い色調を基調に、ナウガハイドチェア、テラコッタ製の吊り灯、テクスチャーのある「アドベ」壁、裸木の天井パターン、そしてニューメキシコ州旗をイメージした鉄製の装飾を取り入れ、リラックスした爽やかな南西の雰囲気を演出しています。

店舗情報

Ghost Ranch
1006 E. Warner Rd., Ste 102-103, Tempe, AZ 85284
(480) 474-4328

トラベルノート
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