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アル・テイラーとテンペ公共安全記念碑の誕生

テンペ・ビーチパークの新たなランドマーク

最近テンペ・ビーチパークを訪れると、入口付近にそびえる「テンペ公共安全記念碑」の姿が目に入ります。この記念碑は、市の消防士・警官・K‑9パートナーが職務中に命を落とした英雄たちを讃えるものです。3体の巨大彫像(消防士、警官、犬)は、細部まで精巧に作られています。

アル・テイラーの関わり

記念碑の背景を調べると、元テンペ警官で現在は「Special Moments Catering」のオーナーであるアル・テイラーが、企画チームの中心メンバーとしてプロジェクトを牽引したことが分かります。

リーダーシップと情熱

資金調達やアーティスト選定を担うチームで、アルは行動力と起業家精神にあふれた人物でした。常に前向きで、妻ミシェルと共に公共安全記念碑の実現に尽力しました。

アルとミシェルの歩み

アルはデトロイトで徴兵され、フォート・ノックスの新兵訓練所へ。その後、軍警察としてユマに配属され、週末にフェニックスへ通いました。名誉ある兵役を終えた後、1974年にミシェルと結婚し、テンペ警察へ入官。やがて警部補に昇進しました。

ケータリング事業の始まり

1983年、子どもたちが学校に通い始めた頃、ミシェルがスペシャリティケーキ事業を開始。アルは警察勤務の合間に配達を手伝い、ハロウィーンの蝙蝠ケーキでは吸血鬼の格好で配達するなど、ユニークさで顧客を惹きつけました。事業は拡大し、やがて「Special Moments」としてフルサービスのケータリングへと転換しました。80年代後半はミステリーやカジノパーティの需要が高まり、アルの犯罪捜査経験が活かされた実際の事件をモチーフにした演出が好評を得ました。

警察官としての功績

アルは犯罪予防ユニットを率いて住民へのリスク教育を実施。テンプ・商工会議所と連携しFAXツリーによる警戒システムを構築したほか、ホームデポと協力して窓下に有刺葉植物を植える防犯緑化プログラムを導入し、企業や住宅への防犯意識を大きく高めました。

退役後の活動と記念碑プロジェクト

1996年に退役したアルは、テンプ警察財団に招かれ、チーフ・トム・リフの要請で財団長を務めました。財団は公共安全記念碑の実現を任され、アルは資金調達の総指揮を執りました。市議会からは最大17万5千ドルの助成があり、アルと副チーフ・エンジェル・カルバハルの尽力で、企業寄付・個人献金・イベントを通じてさらに18万6千ドルが集められました。

アーティスト選定と完成

全米73名の応募者から作品提案を受け、15名の選考委員会(アルも参加)で、アイダホ州ボイジの公共彫刻家ベンジャミン・ビクターが採用されました。記念碑は2016年12月6日に落成式が行われ、アルが基調講演を務めました。

個人的な想い

式典では、アルは20年にわたりテンペ警察に勤め、同僚の呼びかけに応じた際に銃撃されて亡くなったジョン・ブラッドショー副官(1987年9月20日死)をはじめ、6人の警官、1人の消防士、2匹のK‑9が刻まれたことに深い感慨を語りました。「これが私の人生で最大の達成です」と語る姿は感動的でした。

アル・テイラーの信条

アルの人生は、機転、楽観主義、リーダーシップ、そして勤勉さの象徴です。彼は「運は実力の裏付けだ。努力すればするほど、運は味方になる」と語ります。

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