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ベルとワトソン、そして最初の長距離電話

ベルとワトソン、そして最初の長距離電話

ベルとワトソン、そして最初の長距離電話

ベルとワトソン、最初の長距離電話の歴史

アレクサンダー・グラハム・ベルは、現在はターンズ・シーフードとして知られるリシアムホールから、最初の長距離電話をかけました。1877年2月12日、隣の部屋でワトソンに電話した約1年後、ベルは「電話装置を一般に初めて公開デモンストレーションした」と記録されています。当時、リシアムには500人以上の有料観客が集まり、ベル教授の講演を聞きました。

サレムの歴史家ジム・マカリスターは次のように書いています。「ベルはまず、1830年代に電流で音楽を送る実験を行い、電話技術の先駆けとなったサレム出身のチャールズ・グラフトン・ページに敬意を表しました。その後、ベルは自身の実験と新しい発明の仕組みを簡単に紹介しました。続いて電話を使い、ボストンのエクセター通りにある実験室にいる助手トーマス・ワトソンに、割込み電流とモールス信号でアルファベットを送るよう指示しました。ステージ上の受話機から聞こえる音は、ホールの奥、約10メートル離れた場所でもはっきりと聞き取れ、観客は歓喜しました。」

続くプログラムでは、ワトソンが電話でオルガン演奏や歌、講演を行い、聴衆に向けて話しかけました。さらに数名の聴衆が電話に向かって発言する機会も与えられました。

夕方の最後に、電話は「ヘンリー・バチェルダー」に引き渡されました。バチェルダーはワトソンの友人で、ボストン・グローブ紙の特派員でもありました。彼は電話を使って、リシアムで起きた出来事をボストン・グローブの記者A.B.フレッチャーに口述させました。これがベルの電話がニュース記事の送信に初めて利用された瞬間です。

つまり、最初の電話は1876年3月10日にかけられたとされていますが、最初の長距離電話は1877年2月12日にサレムのリシアムで行われ、さらに電話がニュース記事を送るために使われたのも同じ日でした。

詳しくは、Poynter.com に掲載された「アレクサンダー・グラハム・ベルがボストン・グローブへ電話した」という記事をご覧ください。


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