モンゴルから香港へ徒歩で旅する
旅の終着点、香港
全てが終わった場所、陸が尽きる先に立っている。半年間の旅路の果て、砂漠を横断し、雪山の頂を越え、体は限界に近いまで追い込まれ、警察署の中を数え切れないほど訪れた。中国を横断し3000マイル、足跡は1,000万歩、靴の水ぶくれは計り知れない。長い旅の終わりに待っているのは、静かな安堵と、少しの寂しさだ。背後に香港の夜景が灯り始め、太平洋の胸の中で再び旅の終わりを迎える。
出発のきっかけ
2010年、ニューヨークから出発し、14,000マイルを自転車で走り抜け、香港に到着した。その経験でロードライフ、冒険、フィットネス、自由に魅了された。香港で友人のロブ・リルウォールと再会し、彼もまた自転車でシベリアからパプア・ニューギニア、チベット、アフガニスタンを経てロンドンへ戻った経験がある。ロブは新たな冒険を求め、私に「ゴビ砂漠から南シナ海まで、全中国を徒歩で横断し、動画で記録しよう」という提案をした。半年後、私たちはモンゴルへ向かう飛行機に乗り込んだ。
モンゴル、ゴビ砂漠への到着
11月中旬、私たちはフロンティアタウン・サインシャンドに到着した。冬の寒さが土地を締め付け、風が巻き上げる埃が視界を遮る。南には世界最大の寒砂漠、ゴビ砂漠が広がっている。
最初の200マイル:トレーラーで国境へ
最初の200マイルは、食料と装備を積んだトレーラーで中国国境へ向かった。水が凍らないように、30本の大きなプラスチックボトルを現地で購入した毛皮付きタイツで包み、段ボール箱に入れた。
14日間の横断は不規則な吹雪に見舞われ、気温はマイナス30度にまで下がった。毛皮タイツは水を保温するだけでなく、夜はテント内で自分たちが着る防寒具としても活躍した。荒涼とした岩だらけの風景と異世界のような夕焼けは、過酷ながらも美しかった。
中国本土での徒歩旅
国境を越えるとトレーラーは不要となり、補給は日々の町で行えるようになった。バックパックは25〜30キロに変動し、怪我が最大のリスクだった。足取りは1日平均25キロ、週6日という過酷なペースだったが、人体は驚くべき機械だと実感した。
山西省へ西へ向かうと、黄土の崩れやすい土壌が連なる黄土高原が広がる。住民は斜面に段々畑を作り、まるで層状のウェディングケーキのような景観を作り出す。洞窟住居の人々の助言で、ついに万里の長城に辿り着いた。長城は崩壊が進んでいる箇所も多く、遠くの山々と調和しながら壮大な光景を呈している。
警察との遭遇
撮影機材は観光客が持つ以上の量であり、中国当局の警戒は避けられなかった。数回警察に呼び止められ、時には軍事区域に誤って立ち入ることもあった。最も緊迫したのは、無標識の軍事ゾーンに入ったときで、3名の警官に止められ、荷物検査と質問を受けた。最終的に「二度と入らないでくれ」という警告だけで解放された。
旅の最終月:変わりゆく中国
気温が上がり、湿度が増す前の心地よい季節が訪れた。中国語はまだ不十分だったが、徐々に意思疎通ができるようになり、街の変化を目の当たりにした。北部の荒野には新都市の建設計画が広がり、洞窟住民は産業労働者として移住させられていた。ほとんどの町でクレーンが稼働し、スカイラインが伸びている。農村部では高齢者と子どもだけが残り、働き盛りの世代は都市へ流出していた。
振り返りと次なる冒険へ
香港に辿り着いたとき、太平洋の波に全身で飛び込むような感覚に包まれた。過酷な環境は肉体を疲弊させたが、同時に他に代えがたい活力をもたらした。怪我なく旅を終えたことは、人体の耐久性と順応性を示す証だった。30マイル/日というペースは長期的には持続できないが、6か月間で自分と人間の可能性を再認識した。ロンドンに戻った今も、山や野原への冒険を口実に外出し、あの瞬間を決して後悔しない。







