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南アフリカ・カラハリ砂漠での過酷サイクリング体験

エアコンの風が顔に当たり、柔らかな枕と真っ白なシーツに包まれた朝。まるで夢の中にいるかのように目を覚ますが、胸に走る激しい痛みで現実に引き戻される。

10日前の出来事

南アフリカに到着してから、身体と精神の限界に挑む冒険を求めていた。真夏のカラハリ砂漠を自転車で横断することが、最適な挑戦だと考えた。

キンバリーとクルマンの間で数日間、朝早くから9時まで走り、午後6時まで木陰のハンモックで休むという「熱帯ルーティン」に慣れた。水は徐々に増やし、最大で19リットルを背負うようになった。

クルマンを出発したとき、25kgの荷物と10kgの食料、19リットルの水を積んだ自転車(Mr Hyde)は問題なく走っていた。下り坂で時速65kmで走っていると、車が接近したことに気づき、急いでハードショルダーへ避けようとした。

鏡を見ると、数百メートル後ろから3台の車が迫ってきている。前方を見ると逆走するトラックがあり、回避は不可能だった。結果、バイクは砂利路に滑り、粉塵の中で倒れ、Mr Hydeに巻き付いたまま横たわった。

「動くな、考えるな、落ち着け」と自分に言い聞かせながら、腕の擦り傷と痛みを確認。ベビーワイプで清掃し、鈍い爪切りで厚い皮膚を切り落とし、20分かけてバイクを再び走行可能な状態にした。

この瞬間、恐怖と痛み、そして自分への疑念が渦巻いた。診療所に戻ることも考えたが、休むだけで諦めるのは嫌だった。「諦めるな、前に進め」と自分を奮い立たせ、数時間の苦痛を乗り越えてさらに2日間走り続けた。

この経験は、過去の自分—自信がなく、いじめられ、何事も途中で投げ出す少年時代—を克服する大きな転機となった。スコットやシャクルトン、エベレスト登山家、アフリカ探検家たちの物語に憧れ、冒険への情熱が再燃した。

苦難と温かな出会い

2日後、ヴァン・ジルスルスに到着。テントでの不眠と痛み、でこぼこ道の最後の20kmで疲労がピークに達した。55ドルの高級宿に身を委ね、体の傷をしっかりと手当てし、6時間の睡眠を取った。

再び目覚めたとき、胸と腕の痛みは続くが、ビザの期限が迫り、資金も限られ、前に進むべきか後ろに戻るべきかのジレンマに陥った。そんなとき、宿のオーナーが朝食に招いてくれたことがきっかけで、彼らと友人たちとの交流が始まった。

その夜、家族のような温かさに包まれ、感情の底から涙が溢れた。12時間で心の底にあった暗闇が光に変わり、再び荒野へと踏み出す勇気が湧いた。

砂漠での過酷な日々

その後の数日は、砂利道の凹凸と深い砂丘に苦しめられた。左腕は80%しか使えず、肋骨の痛みで毎回の衝撃が激しい。砂丘に突き当たるとバイクを降ろし、体への負担を減らすしかなかった。60kg以上のバイクを砂から何度も持ち上げるのは二番手の選択肢に過ぎず、時には意識が遠のくほどの痛みを感じた。

昼下がりのハンモックでは、エルネスト・シャクルトンの『South』を読んで気を紛らわせた。氷と海に閉じ込められる代わりに、食料と水は十分にあり、官僚と痛みだけが敵だった。

さらに小さな村のホテルで休んだとき、故郷と元恋人を思い出し、予算を使い切って3日間の休養を取った。ビザは残り2日、ナミビアへ向かうと道路は急速に改善し、キートマンスホープでカラハリ挑戦を完結させ、ナミブ砂漠へ向かう計画が見えてきた。

最後の試練と救い

しかし、最後の夜に食中毒・脱水症状が襲い、テントから出るのもトイレを掘るのも困難に。翌朝、エネルギーは尽き、唯一の安全策は残り70kmを車に乗せてもらうことだった。

自分に「起きろ、怠けるな」と言い聞かせ、20メートルの道までバイクを押し出すと、数分後に通りすがりの車が助けてくれた。そこからの旅は、まさに「刀の刃の上を歩く」ような緊張感の中で続いたが、無事に救われたことが歴史となった。

振り返ると、過去の自分が再び打ちのめされたとき、肩を抱き「大丈夫、君はもっと良い人生を送る」と励ましたい気持ちになる。

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トラベルノート
  • 最後の一切れ

    冒険の始まり 2週間後、渦巻く朝霧の合間に青空が顔を出した。午後になると太陽が出て、千匹もの蚊に刺されるほどだった。時間のロスを取り戻すべく、キャンプ近くの2つの大きな壁に集中することにした。これまでバフィン島での探索は、比較的易しいルートでの初登頂が中心だったが、今回は北カナダの北極圏で未踏の大きな花崗岩壁に挑むことを目指した。ガイとフィルは同じ午後、ブレイダブリックのエレガントな2,000フィート(約610メートル)の北側ブッテスへ向かった。 フレイヤ峰東壁への挑戦 残りのメンバーは天候の回復を利用し、フレイヤ峰の東壁に向かった。3,000フィート(約910メートル)に及ぶスラブとヘッドウォールはキャンプからすぐに見える位置にあり、私たちはその頂点を「キラブク」と名付けた。フレイヤの主峰はアスガルド側に遠く離れていたためだ。スラブは予想よりもやや難しい5.7相当で、ロープが必要だった。ヘッドウォールも思った以上に厳しく、食料も少なく、寝袋もない状態で撤退すべきか議論したが、デニスが「上って冒険しよう」と提案し、全員が「いいね!」と応じて挑戦を決めた。 ペンデュラムでの突破 夕方、ヘ

  • 精神の山 マナスル・トレイルでの冒険

    序章:マナスルへの出発 標高4,000メートルの地点で、太陽の光が岩と氷を溶かし始めた。光り輝く山々の稜線が四方に連なり、遠くの地平線へと消えていく。上空では猛禽類が熱上昇気流に乗り、青空にシルエットを描き、下方では氷河湖がターコイズの宝石のように白銀の大地に点在していた。静寂の中で自分の鼓動が聞こえる。サンスクリット語で「Manaslu」は「精神の山」を意味し、天と大地が交わるこの場所は、まるで異世界の霊気に満ちているかのようだった。 道中の風景と出会い 谷底から低くうなる音が響き、雪崩の残骸がクレバスだらけの氷河を這う様子が目に入った。息を切らしながら急なトレイルを登り、走りのリズムはハイキングペースへと変わった。雪線に差し掛かると、先に走り出したランナーが姿を現した。彼は私が折り返し地点の3分の1に達する前に、すでにゴールへ向かっていた。 スポーツ嫌いの少女が挑んだ理由 幼い頃は体操服を着たままテニスは苦手、ホッケーは無理という、まさに運動音痴だった。もし当時の自分に「世界で8番目に高い山のベースキャンプまで空中レースを走る」と言われたら、笑って鼻で笑うだけだっただろう。しか

  • ワードローブをくぐって

    はじめに 誰もが聞いたことがある、イギリスの田舎のクローゼットの奥に隠されたナルニアの物語。外界からはほとんど入れない魔法の国です。最近のノルウェー・ナーヴィックへの旅を振り返り、現実の街と幻想のナルニアを比べてみました。 ナーヴィックへの期待 西海岸のこの小さな港町については、山肌に切り込まれた雪の滑走路や、フィヨルドに続く最高のスキーラインといった数々の噂を聞いていました。ビール片手に語られる伝説や、スキー映画で映し出される映像だけでは、まだ謎が多く、むしろ行きたくなる気持ちが高まりました。 到着と現実 実際に足を踏み入れたナーヴィックは、漁業と鉄鉱石輸出で成り立つ工業都市でした。山は壮大なスキーリゾートのようにそびえ立つわけではなく、白い雲に隠れた控えめな姿です。街の店先にスキーやクライミング用品が並ぶことは少なく、普通の海辺の町のようです。しかし、地下には山岳探検に情熱を燃やす仲間たちがいて、何年も周辺の花崗岩峰を踏破してきました。 ガイドと仲間たち 『ライオンと魔女とワードローブ』の子どもたちが冒険を見つけるまでに時間がかかるように、ナーヴィックの山々も簡単には登れません。ス