血のダイヤモンドを超えて:シエラレオネ・モア川下りの冒険

ミッション
『私たちは観光客です』と、密林に囲まれた遠隔の村で不審そうに私を見つめる男に三度繰り返した。英語は断片的だったが、暗闇の中で二つの質問がはっきり聞こえてきた。『何の研究をしているんだ? 何を探しているんだ?』観光客という言葉が彼にとって意味を持たないことに気づいた。シエラレオネの美しさと人々の温かさを体感し、帰国後にその体験を共有したいと説明すると、彼はゆっくりと眉を緩め、腕を掴んで『村で食事しよう』と招いてくれた。
実際、私たちを『観光客』と呼ぶのは適切ではなかった。世界各国から集まったメンバーは、フリータウンで2週間の遠征に向けて集合した。目的は、ギニア国境から海岸まで約200kmにわたるモア川を徒歩と現地のカヌーで下ることだった。遠征は、世界の最も人里離れた地域への初挑戦を手掛ける探検サービス『シークレットコンパス』が主催した。ギニア国境付近の孤立した村で荷物を背負い、細いジャングルトラックを下り始めた瞬間、未知への冒険が始まったことを実感した。翌晩、モア川を泳いでギニア側へ渡ったとき、全行程を完遂する決意が固まった。
旅路
『このボートは古いんだ』とガイドのアブが言いながら、カヌーは徐々に水に沈んでいった。地元の漁師と交渉しながら川下りを続けたが、漁業用に作られた船のため、快適さには欠けた。4日目、急流でカヌーが横転し、瞬く間に水没した。私はすぐに岸へ泳ぎ着いたが、同伴者のニッキーは流れに飲まれ、500メートル下流で濡れたまま無事に戻ってきた。唯一の大きな被害は私のブーツで、次の日はサンダルで歩き回り、やむを得ずバイクタクシーの運転手からトレーニングシューズを購入した。

川を離れ、ジャングルの奥へとトレッキングするのは体力的に厳しかったが、静かな緑と突如現れる木造の村との対比は鮮烈だった。各村の長老に敬意を表し、米やヤム、魚、果物といった食料の交渉は日課となり、道は裸足の子どもたちが走り回りながら案内してくれた。
ある村の長老から『儀式が行われているのでこの道は通れない』と告げられたとき、シエラレオネに根付くブッシュ・ソサエティ(秘密結社)の存在を実感した。これらの儀式は日常生活に深く浸透しており、私たちは許可された範囲でしか進めなかったことに感謝した。
出会った人々
『あなたの兄弟がここを通ったことがある』と村長が言ったとき、最初は驚いたが、1992年のことだと分かると、モア川流域へはほとんど外部の人間が来たことがないことが改めて明らかになった。観光客としてではなく、何らかの目的で来た人は稀だった。
その事実が、各村で受けた温かい歓迎をさらに特別なものにした。まずは長老の許可を得て、木にハンモックを吊るす儀式を行い、村全体がキャンプ設営に協力した。地面を整える人、川から水を汲む人、そして私たちが塩素タブレットを入れる様子を微笑ましく見守る人々――その光景は忘れられない。夜になると、旅団の『T』が持ち込んだウクレレの音色が焚き火を囲む村人たちを楽しませ、シエラレオネの音楽シーンに少しでも貢献できたことが嬉しかった。




