限界を超えて
はじめに
『氷ではないはずだ』――それが私の最初の直感だった。なぜそれが可能性として浮かばなかったのかは分からない。ネパールに到着してから、天候の悪化でフライトが遅れ、計画の窓が狭まっていた。私たちの目標は、ライアンとリノが『Great Himalaya Trail(GHT)』の一部で最速記録(FKT)を樹立することだった。西から東へ、ヒマラヤとその麓を横断し、総距離1,400km、累積標高差70,000m以上を走破する計画だ。
二年前にライアンがこのアイデアを持ちかけたとき、私はすぐにロマンを感じた。『横断』と『ヒマラヤ』という言葉だけで、無数の映像と感情が頭に浮かんだ。人類の遊牧的な根源と、現代の定住生活に対する不安――それらは私の映像制作のテーマでもあり、ヒマラヤほどそれを体感できる場所はないと確信していた。困難は予想していたが、実現は可能だと信じていた。
氷の道と危機
ハイキングを始めて二日目、私たちはヒルサ村のすぐ下にいた。ここが出発点だった。目の前に広がる青い氷の帯は、緩やかな斜面で、1,000フィートの空中へと滑り落ちる危険な道だった。登山用具はなく、ランニングシューズと一本のアイスアックスだけ。遅れた冬が予想外の難所を作り、今シーズンは誰もこの峠を越えていないことが後から判明した。
私は滑ってライアンとリノの元へと倒れ込み、苛立ちを隠そうとした。ガイドとポーターは氷上を慎重に歩き、岩壁に寄り添いながら土を撒いていた。下方のカルナリ川は何千フィートもの深さで、ひとたび滑れば死が確定する――それは明白だった。
命の危険があると知りつつも、私は映画のために死ぬほどのリスクは取らないと自問した。リノは不屈の眼差しで氷上を進む決意を示し、私たちは前に進むしかなかった。足はボロボロで、夜は迫っていた。ガイドが氷に薄く土を撒いたことで、かろうじて足場が確保できた。
途中、ポーターの一人が氷上でスリップし、ゆっくりとしたスローモーションで滑り落ちたが、奇跡的に立ち上がり、何事もなかったかのように歩き続けた。その姿は、彼らにとっては単なる仕事であり、私たちにとっては現実の厳しさを突きつける瞬間だった。
挑戦の全容
夜明け前、ライアンとリノはネパール・チベット国境の橋を出発し、28日以内にインド国境のダージリンへ向かう計画だった。彼らは5日間のトレッキングコースを12時間以内で走破しようとしていた。西部ヒマラヤの雪山を越え、東部の麓へと降りていく――GHTは単一のトレイルではなく、何世紀にもわたって存在する小道の集合体である。
6日後、私たちは上ムスタンの風が吹くカグベニ村にいた。ライアンとリノは上ドゥルパ地域で連絡が途絶えていた。最後の音声メモでは、氷斧とロープを調達し、さらに厳しい条件が待ち受けていると告げられた。妻のヴァネッサへは心配させたくないと頼まれたが、インスタグラムに氷斧を持つ自撮りを投稿している姿があった。
数時間にわたり、トラッキングサイトは黒い点がゆっくりと動くだけで、やがて止まってしまった。ヴァネッサは焦りのメッセージを送り、私たちは70km離れた地点まで数日かかることを悟った。衛星画像で建物の痕跡を確認し、緊急用のトラッキングデバイスがあることは分かっていたが、信号は届いていなかった。
極限の試練と犠牲
リノは凍傷により指の8本が凍傷を起こし、2本は黒く変色した。さらに、アンナプルナ地域で膝のクアッドが破裂し、30分間歩けずに泣き叫んだが、やがて走り出した。マナスル地域では千里眼のような疲労と熱熱が続き、胸が苦しくなるほどの体調不良に陥った。ライアンはリノを止めるべきか悩んだが、リノは「諦めは選択肢にない」と答え、最終的に二人はFKTを達成し、ネパール横断の最速記録を樹立した。
リノの姿勢は当時は「甘んじている」ように見えたが、数週間後に彼が自らの犠牲を受け入れたことが理解できた。彼にとっては、挑戦をやめることは到底受け入れられない選択肢だった。私たちは、現代人が失われた「生きる意味」を求めて、極限の境界へと足を踏み入れる姿を目の当たりにした。
本記事は Sidetracked Magazine 第12巻に初掲載されたものです。




