公正な手段で挑むアルプス横断の旅
フランス・マリティームアルプスでの挫折
最初に諦めを考えたのは、フランス・マリティームアルプスのコル・ド・ラ・カヨーユ。膝まで雪に埋もれ、片手で自分を押し出し、もう片方の手でカヤックをプルカのように引っ張っていた。自転車は上に固定し、数メートルごとに全体が揺れたが、何も動かない。粉雪に再び沈み込み、四字熟語を叫び、時には新語まで作り出した。
しかし文句を言っても仕方がない。まずは山頂を越えなければならないし、責任は自分たちにある。ヴァール川の谷に入ったとき、巨大なコル・フェルメの標識が「5月中旬は大雪のため通行止め」と警告していた。だが当時は30℃で、通行止めは車だけだと楽観的に考えていた。
選択の岐路:回り道か挑戦か
ダリュイ峡谷をカヤックで下った後、我々は決断を迫られた。数日間の迂回路を取るか、挑戦を続けるか。臆病者ではないので答えは明白だった。
最も低いギアで狭い道を登り、50kg以上の装備をトレーラーで引きずりながらペダルを踏む。標高が上がるほど計画への不安が募る。最初は「Allez! Allez!」と山民が応援してくれたが、次第に「C’est impossible! La neige!」と嘲笑に変わった。
雪と雨の壁
標高2,000メートルで雨が降り始め、やがて雪に変わった。道路は途切れ、そこはまるでフリーライドリゾートのような雪原だった。スキーは持っていないので見苦しいが、暗くなるまでに戻ることは不可能。幸い小さなシェルターがあり、カヤックとトレーラー、そして自転車をソリ代わりにして雪原を進んだ。
シェルターで乾かした装備を見ながら、再び冒険の燃料が満タンになるのを感じた。
朝の霧と新たな出発
翌朝5時30分のアラームが鳴り、窓の外は濃い霧に覆われていた。雪柱が道を示すだけの世界だったが、我々はそれでも谷へと下るべき道を探し続けた。
ヨーロッパ横断の旅路
数日後、苦労は過去の記憶となり、無数の新しい感動が訪れた。カンヌ出発からわずか1週間で、まるで永遠に旅を続けているかのようだった。自然と向き合い、カヤックと自転車の組み合わせは多くの注目を集めた。フランス人サイクリストが道端でエールを送ってくれる中、オラフは装備を次々に投げ捨てて「所有物が多すぎると自由な心が縛られる」と語った。
この言葉は我々の精神を象徴している。2か月間、必要なものはすべてカヤックと自転車のパニエに詰め込んだ。スマホやメール、SNSから離れ、今この瞬間に生きることの価値を再確認した。
アルプスの変化に富む風景を巡り、カヤックで清流に飛び込み、滝や急流ではなく旅そのもの、すなわち景色・人・シンプルさを楽しんだ。フランスからイタリア、スイス、オーストリア、再びイタリア、オーストリア、スロベニアへと進み、最後はベネチアの海へと辿り着く。
スロベニアとベネチアへの最終章
スロベニアに向かう途中、冒険の終わりが近いことを実感した。最後にカヤックを本来の目的であるパドリングに戻し、澄んだソチャ川の水面で余韻を味わった。
ベネチアへ向かう前に、カオルレの海辺で宿泊先の見た目にがっかりしつつ、チェコ人キャンパーがエンジンをかけたままビールを飲む姿に出会った。「エアコンが使えないから」と答える彼に、笑いながら別れを告げた。
ベネチアでは白水カヤックで運河を巡り、サン・マルコ広場のウェイターに11ユーロのビール代を請求され、現実に引き戻された。
旅の終わりと帰路
メストレ駅でミュンヘン行きの夜行列車に乗り込み、混雑した車内で再びカヤックに戻りたくなる思いに駆られた。数時間後、アウクスブルクへ戻るために別の列車に乗り換え、現実世界へと帰還した。




