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チャペル(礼拝堂)とは何か?

チャペル(礼拝堂)とは何か?

チャペルの定義

chap·el(名詞)結婚式を挙げる場所。

聖マルティンとマントの逸話

マルティンはローマ軍の子どもでした。現在のハンガリーで生まれ、十代で軍に入隊し、ガリアに配属されました。ある寒い朝、アミアンの門で半袖の乞食に出会い、剣で自分のマントを半分に切り、半分を相手に渡しました。以後、マルティンは5世紀を代表する聖人となり、隠者として、また魅力的な巡礼説教者として名を馳せ、異教のガリア地方をキリスト教に改宗させ、最終的にトゥールの司教となりました。彼の功績は多いですが、マントのエピソードが聖マルティンの信仰の象徴となり、その残りはフランク王の聖なる遺物となって軍事遠征に持参され、戦いの前に誓いの儀式に用いられました。フランクはこのお守りのもと、連勝を重ね、最終的にカール大帝がローマ皇帝に即位しました。

語源と英語への影響

巡礼の聖所はラテン語で cappella(マント)と呼ばれ、司祭は cappellanus と呼ばれました。cappella の名はやがて「礼拝堂」や「聖域」の意味で広がり、フランス語の chapelle へと変化し、英語の chapel となりました。同様に cappellanus は英語の chaplain(チャプリン)に受け継がれます。イタリア語の a cappella(無伴奏で)は、イタリア語の alla cappella(礼拝堂のように)から来ており、現在は「無伴奏で歌う」という意味で使われます。

カプチーノとの意外な関係

cappellacappa(フード付きマント)に由来します。イタリア人は接尾辞を好み、cappuccio(フード)や Cappuccino(カプチーノ)という語を作りました。カプチーノはフランシスコ修道会のフードを身に着けた僧侶(カプチン会)にちなんで名付けられ、エスプレッソと泡立てたミルクの色合いがそのローブに似ていることから、今や朝の定番飲料となっています。

出典

本稿は John Bemelmans Marciano 著『Toponymity: An Atlas of Words』から許可を得て抜粋しています。


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