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中国オデッセイ:自転車で横断した90日間の冒険

緊張と期待が入り混じる中、私たちは入国管理ビルの急勾配のランプを自転車で勢いよく滑り降り、闇市の両替商を避けて新疆省へと抜け出した。レベッカと私は、カザフスタンからベトナムまで約5,000kmを90日で自転車で走破するという挑戦に挑んだ。中国横断の旅が始まった。

新疆の大地と300kmの砂漠区間

新疆は西ヨーロッパと同等の広さを持ち、地図上ではほとんどが砂漠に見える。首都ウルムチは世界で最も海から遠い都市だ。私たちはタクラマカン砂漠とゴビ砂漠の間に挟まれた一本の道路を東へ走った。強風や砂嵐、季節によっては極端な暑さや凍える寒さにさらされる過酷な環境である。

砂漠の中には緑のオアシスが点在し、そこだけが水と食料で生き延びられる唯一の場所だ。私たちは町から町へと移動し、補給を行いながら旅を続けた。

出発から一週間後、地図上で暗く空白に映る300kmの砂漠区間に突入した。最後の集落で食料と水をたっぷりと積み込み、チームシェルパとしての私の荷物に加えて、レベッカも12kgの水を追加した。

灼熱の風とトンネルの避難所

夏の本格的な暑さはまだ来ていなかったが、風が熱く感じられ、ボトルの水さえも飲みたくなくなるほどだった。風が吹き付ける荒野で、私たちは道路下にあるトンネルの一つに避難した。そのトンネルはどこでもトイレとして利用されており、いくつかの「人間地雷」を避けながらテントを張った。

しかし、夜になると風向きが変わり、トンネルは砂嵐の通路と化した。砂がメッシュの扉から入り込み、全身が砂まみれになったまま、トラックが頭上6フィートで通り過ぎる音だけが聞こえる状況だった。

砂漠のカフェでの24時間の奇跡

翌朝、猛烈な向かい風に逆らいながら走り出すと、数キロ先で孤立したカフェを発見した。店内に入り、外で荒れ狂う嵐から逃れた。

中国オデッセイ:自転車で横断した90日間の冒険 中国オデッセイ:自転車で横断した90日間の冒険

嵐は数時間続き、私たちはカフェの中で24時間を過ごした。麺類とお茶を飲みながら、窓越しに砂と埃が猛スピードで飛び交う様子を見守った。店主は屋根が揺れるのを不安げに見守り、トラックの運転手たちも外に出られずにいた。

結局、店主の好意で床で寝ることになり、深夜2時まで他の客と麺とビールを楽しんだ。翌朝、やっとテントを張り、6時間の仮眠を取った。

ハミでの大逆転

朝8時に再び出発し、風がやや和らいだことを利用して数時間走ると、道路の向きが微妙に変わり、強風が追い風に変わった。士気は一気に上がり、私たちは驚異的な速度で次の町ハミへ向かい、200kmという自己最高記録を更新した。バッグにはまだ15リットルの水とインスタント麺10袋が残っていた。

新疆の文化と風景

ハミに到着したときの高揚感は格別だったが、中国の文化は異星のように感じられた。言語は聞き取れず、食べ物は見たことのないものばかり。人々は床に唾を垂らしたり、私たちを不思議そうに見たり、時には笑ったりした。市場の肉売り場は心臓に負担がかかり、バスの鳴り響く空気ホーンが常に聞こえる。トイレは共同の長い穴で、ドアも水洗もない。

長城と緑の山岳へ

東へ進むと、数百キロにわたって西部の長城が道路沿いに続いていた。泥で作られた3メートルの壁は、観光客の姿もなく、静かに砂漠に崩れつつあった。

甘粛省に入ると、砂漠は緑豊かな山々に取って代わり、階段状に切り取られた棚田が広がっていた。手作業で灌漑が行われ、数千人の農民が畑を耕す光景が続いた。

農村と都市の格差

肥沃な土地のあちこちに村が点在し、中国の経済成長が農村部にまだ届いていないことが感じられた。都市部には高級ショップや大型テレビが並ぶが、近くの農村では泥造りの家に水道もなく、すぐそばに新しい高速道路が走っている。

四川の山岳パスと泥道

四川省では標高2,200メートルの山岳パスを通過するため、地図上の裏道を選んだが、雨で泥だらけになり、3日間にわたり足元の泥に足を取られながら自転車を引っ張った。景色は壮大で、山間の小さな町は人里離れた静寂に包まれていた。

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どの町に入っても、私たちは必ず注目の的となり、地元の人々は「白い変わり者がやってきた」と興味津々で集まってきた。

雲南・昭通での出会い

旅の終盤、雲南省昭通でシェリーという英語教師と出会った。彼女は初めて外国人に会うということで大喜びし、友人を呼び寄せて私たちのためにディナーを手配した。10人ほどが丸いテーブルを囲み、ビールと不明な料理が次々に注がれ、みんなで乾杯した。

食べ残しとビールが床やテーブル、椅子にまみれ、部屋はまるで戦場のようだったが、まさにその瞬間が「自分も仲間の一員だ」という実感を与えてくれた。

最後の90日と振り返り

ビザの最終日、私たちは中国を後にしてベトナムへ向かった。中国は最も過酷なサイクリング先だったが、同時に最も心に残る場所でもある。大陸規模の国土、古代から続く文化、山と砂漠、先進都市と荒れた農村。ほんの一部しか見ていないが、千の思い出が生涯の宝になるだろう。90日間の旅こそが、アドベンチャーサイクリングの本質だった。


トラベルノート
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