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別の山へ挑む――ジャレッド・レトとジミー・チンのクライミング対談

はじめに

ジミー・チンは、National Geographicの表紙を飾り、アレックス・ホノンドと共にメル・クライミングでアカデミー賞を受賞した、世界屈指のクライミングフォトグラファーです。一方、俳優・ミュージシャンのジャレッド・レトは、Blade Runner 2049Fight Clubで知られ、The Little Thingsの主演も務めるほか、熱心なクライマーでもあります。

二人は長年の友人で、今回の対談は遠距離ビデオ通話で行われました。ジミーはハワイ・カウアイ、ジャレッドはカリフォルニアの砂漠にあるエアビーアンドビーから参加しています。


対話のハイライト

ジャレッド・レト:スタジオはここ、ピオニアタウンのエアビーにある西部の酒場を改装した場所です。寒いですが、景色は最高です。実は今日はジョシュアツリーに戻って、前回挑戦したルートにリベンジしようと思っています。ダブルクロス(5.7+)をリードしました。

ジミー・チン:それは私が最初に登ったロッククライムでもあります。

ジャレッド:あなたが言ってくれたから挑んだんです。最近はネバダでもクライミングしました。カウアイではサーフィンしてますか?

ジミー:毎朝早く起きて仕事を終えたら、パドルアウトして波に挑んでいます。時に激しいコンディションに巻き込まれることも。

ジャレッド:サーフィンもやってみたいです。ブラジルでひどい目に遭いましたが、すごく楽しかったです。

ジョシュアツリーでの撮影について、ジャレッドは「友人と一緒に仕事をするのが一番」と語り、ジミーは「今年のハイライトだった」とコメント。二人とも、自然の光と風景に魅了されています。


写真と映像の裏側

2017年、アレックス・ホノンドがエル・キャピタンをフリーソロで登った史上最大級のクライミング・フィーネアスに、ジミー・チンとエリザベス・チ・ヴァサーヘイが監督したドキュメンタリー『Free Solo』がアカデミー賞を受賞しました。ジャレッドはこの映画に声で出演し、アレックスの親友として登場しています。

ジャレッド:『Free Solo』の制作現場に居合わせたのは貴重な体験でした。撮影とインタビューが同時に行われ、クライミングの緊張感と恐怖がリアルに伝わります。

ジミー:そのシーンは映画の核心部分として採用されました。観客の立場で『なぜこれが難しいのか?誰もやらなかったのはなぜか?』と問いかける役割を果たしました。

ジャレッドは「クライマーの動きは人間の最も効率的で決定的な姿」と称賛し、ジミーの写真・映像の感性にも同じ美しさを見出しています。


ジャレッドのクライミングへの道

ジミー:クライミングを始めたきっかけは?

ジャレッド:子供の頃から自然の中で遊び、岩に飛び乗るのが好きでしたが、実際にクライミングを知ったのは音楽や映画に忙殺されていた後のことです。5年前にドキュメンタリー『Great Wide Open』を制作したことが転機となり、トミー・キャリデルやアレックス・ホノンドらと出会い、本格的にクライミングを始めました。

最初は「無知は至福」だったと語り、アレックス・ホノンドと同時に登る「シミュルクライミング」さえ普通のクライミングだと勘違いしていたそうです。

ジミーは「それが加速プログラムだった」と指摘し、ジャレッドは「クライミング界の倫理観や自然への配慮が特別だ」と称賛。彼らはクライマー特有の価値観—誠実さ、透明性、環境保護への責任—が世代を超えて受け継がれることを強調しました。


画像ギャラリー

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