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スピナロンガをユネスコ世界遺産に提案 – アギオス・ニコラオス市主催の音楽イベント

スピナロンガをユネスコ世界遺産に提案 – アギオス・ニコラオス市主催の音楽イベント

ユネスコ世界遺産提案のための音楽イベント

クレタ島アギオス・ニコラオス市は、スピナロンガをユネスコ世界遺産リストに登録する提案活動の一環として、文化省およびラッシティ考古局と協力し、7月18日に同島で大規模な音楽イベントを開催しました。このオリジナル作品の披露は、提案の促進と目標達成に大きく貢献することが期待されています。

創作チーム

作曲家ニコス・キダキスと詩人ディオニシス・カプサリスが、提案書に添える独自の芸術作品を制作しました。

スピナロンガの象徴的な意味

スピナロンガは、痛み・孤立・殉教の象徴であると同時に、人間の魂の偉大さと生存への闘いを映し出す場所です。

島の歴史と多様性

小さく荒れた岩礁であるスピナロンガは、何世紀にもわたり異なる社会的・民族的要素を持つ人々が居住してきました。16世紀から20世紀にかけては、ベネチア要塞、オスマン要塞、居住地、そして最後はハンセン病患者の流刑地として機能しました。三度にわたる悲劇的な「撤退」後、前住民とは全く異なる人々が再び島に住み始めました。

音楽作品「アポコポス/スピナロンガ」

ニコス・キダキスの作品は、二つの声部とクラシック・伝統楽器の編成で構成され、語りの部分と叙情的なインターロードが交互に展開します。

物語と参照作品

ディオニシス・カプサリスが描く物語は、スピナロンガの患者が「死者の国」アディスへ下る旅路(カタバシス)を中心に、収容者たちの様々なエピソードや映像を織り交ぜています。また、エパミノンダス・レモンダキスの自伝、オルフェウスとエウリュディケの神話、ベルガディの『アポコポス』などにも言及しています。

本公演は、アギオス・ニコラオス市が主催し、文化省、ラッシティ考古局、クレタ州の支援を受けて実現しました。

― Ellen Rouben

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