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世界の底でのレース

世界の底でのレース

序章:極限の冒険を追う

チェックポイントで待機するだけでは満足できなかった。パタゴニア・エクスペディション・レースの真髄を撮りたくて、競技チームと共にテラ・デル・フエゴの過酷な大自然に身を投じた。

レース開始と最初のトラブル

参加チームは19チーム、走者は徒歩・自転車・カヤックで何百キロものチリの原野を駆け抜ける。私も4人のフォトグラファーの一人として、できるだけ選手と同じ時間を過ごすことを決めた。

イベントは午前2時にスタート。沿岸を自転車でゆっくり走り出す選手たちを、隣のトラックから撮影した。4時間後、マガラン海峡で計画が崩壊した。波が高く風が強く、私のジオディックは横断できず、選手はカヤックで突入した。

結果、私たちは対岸に取り残され、プンタ・アレナスへ戻る長い迂回路(約16時間)を余儀なくされた。テントや食料の配置もすべて無駄になり、夜はたった1時間しか眠れなかった。

チームと合流し、過酷なトレッキングへ

チェックポイントに到着したとき、ほとんどのチームはすでに先行していた。装備が追いつくまで待つか、残りのチームとすぐに合流するかの選択を迫られ、私は北カリフォルニアのチーム「NorCal」と合流し、続く2日間のトレッキングに挑んだ。その後、カナダ・ニュージーランド・米国からなる「Dancing Pandas」とも合流。彼らは旅の途中で最も面白く、すぐに仲間となった。

世界の底でのレース

川と沼地の苦闘

最初は大河をたどり、地図上の曲がり角を探しながらショートカットを模索した。1日で30回ほど川を渡り、足は常に濡れ、重いカメラ機材が肩に食い込んだ。

二日半の過酷な行程の末、チームは走り出した。カヤックで60km、徒歩で12時間以上の行軍を経て、ほとんど体力が尽きている状態で走る姿は圧巻だった。

夜間の迷走とテントなしの睡眠

暗闇の中、次のチェックポイントへ向かうべき谷へ進むが、地形は全く手がかりがない。多くのチームが同じ地点で足止めされ、真夜中まで凍えるような寒さが続いた。Dancing Pandasは小さな必需テントに全員で詰め込み、ほとんど眠れない状態で夜を過ごした。

沈む草原と失われたチェックポイント

朝になって再び出発。足元は草が沈み込み、歩くたびに靴や膝、時には腰まで沈む不快感が続いた。やっと大きな湖にたどり着くが、チェックポイントは事前通知なしに移動していた。残された時間はほとんどなく、次のステージへと急いだ。

地図が不明瞭で、8時間以上を無駄に草原で彷徨った。チームの表情は次第に陰鬱になり、Dancing Pandasは特に沈んでいった。

最終的に必要なランドマークを見つけたが、チェックポイントはさらに16km遠くに移動していた。自転車が川を越えられなかったため、全員が徒歩で余分な距離を走らなければならず、希望が打ち砕かれる瞬間は多くの選手にとって最大の苦痛だった。

世界の底でのレース世界の底でのレース

第一ステージの終幕と一時的な安息

数百キロの過酷な行程を終え、やっとレースオーガナイザーと数百キロ離れた場所で顔を合わせた。私は寝袋とチームが余分にくれた食料だけで生き延びていた。

それでも、選手たちの「極限への挑戦」「耐久力」「闘う姿」を捉えることができた。彼らは疲労困憊でも前進し続け、まだ半分も終わっていないことを自覚しながら次の地獄へと向かっていた。

第二ステージ:船旅とゴールへの期待

第二ステージは比較的楽に感じた。数チームと共にトレッキングを終え、プンタ・アレナスへ戻り、ベーグル海峡への最終ゴールへ向かう船に乗った。船は実は豪華クルーザーで、乗客は1日4,000ドルほど支払っていた。私たちフォトグラファーは2日間のリラックスを味わうことができ、選手たちの過酷な現実との対比は鮮烈だった。

最終チェックポイントで、カヤックステージは強風で中止となり、そこが事実上のゴールとなった。優勝チーム「Adidas TERREX – Prunesco(英国)」は147時間39分でゴールした。

最後の追跡と感動の瞬間

残りのチームはまだ到着しておらず、Dancing Pandasも姿が見えなかった。私はチェックポイントとゴールの中間にある山へ戻り、遅れて来る選手を待った。数時間後、デンマークチームと合流し、氷河や湿地帯を背景に撮影できた。

レースの失格期限は翌朝8時。全員が帰還し、唯一残っていたのがDancing Pandasだった。彼らは足が壊れ、歩くことすらできない状態で、足は川の虫に食われていた。48時間寝ずに歩き続けた結果、足は文字通り刀の刃先まで削られていた。

私は彼らに「最後のカヤックは中止だ」と伝えた瞬間を撮影した。顔に浮かんだのは、長い苦痛の末に訪れた、言葉にできない安堵と解放感だった。これこそが私がパタゴニアで撮影したかった瞬間であり、彼らが「世界の底」で走り抜いた真の理由でもある。



トラベルノート
  • プッシュ:北極圏の凍河での孤独な闘い

    嵐の夜 ジャケットの中で腕を解放しようと体をくねらせ、頭上に手を伸ばす。二つの帽子は落ち、凍える夜風が耳を刺す。寝袋の中でバッテリーやボトル、毛皮ブーツを探し回り、やっと帽子を見つけて耳にかぶせた。凍った手袋越しに寝袋の裾の紐を探し、何度か失敗した後に掴んで締め直す。時計は午前1時、まだ眠りは訪れていない。 太陽はすでに沈み、オーロラが空を舞い始めていた。緑の光がテントの開口部から見える淡い雪に揺らめく。ヘッドランプを点けると、氷に覆われた壁面に光が跳ね返る。気温は-30℃前後。カナダ北西部、北極圏の上にある凍った川のほとりでキャンプしているという、夢のような場所だ。南米の最南端からここまで一年かけて旅をし、今は世界一周自転車旅行の中間地点、北極海の氷岸から数日離れた場所にいた。氷の高速道路を辿り、春になるまで凍ったままの川を走っていた。 しかしテントの中は孤独で不安だった。壁が揺れ始め、帽子を再び耳から外すと、嵐が迫ってくる音が聞こえた。風の轟音が低くうなるように高まり、テントは圧力に耐えきれず揺れた。外を見ると、オーロラも星も消え、暗い雲が川岸を覆っていた。すぐにテントのドアを閉め

  • ドラゴンブレスを漕ぎ出す

    テントの側面に鼻を押し付けたまま目が覚める。氷がはがれ、草の上にカラカラと落ち、テントの扉を開けるとさらに氷が滑り落ちる。外を見ると、ウェールズの山々の頂に深いオレンジ色の光が差し込み、雲一つない空は海の青から北極の青へと変わり、パドルボードは氷の彫刻のように凍りついている。標高約600メートル、ブラックマウンテン山脈の最高峰すぐ下での4月、寒さは当然だが、想像以上に凍てつく寒さに驚く。コーヒーのストーブを点けた瞬間、目の前に現れたのは――ドラゴンブレス。その光景に息を呑む。 計画の始まり ちょうど1年前、ブラックマウンテン山脈の最高点ファン・ブリチェイニオグの尾根を歩いていた。南側からゆっくりと上がり、北東へと急峻に崩れ落ちる姿は壮大だ。その下にあるのが、ブラックマウンテン山脈(黒山脈とは別)に位置する二大湖のひとつ、リュン・イ・ファン・ファウルだ。 前回訪れたときは強風と横雨で視界は数歩先しか見えなかった。事前にレンジャーから聞いた話――湖は標高400メートル下にあり、朝日の光が岩壁の稜線を金色に染め、時折霧が水面に漂う「ドラゴンブレス」と呼ばれる現象が起きる――を確かめたくなった

  • 限界を超えて

    はじめに 『氷ではないはずだ』――それが私の最初の直感だった。なぜそれが可能性として浮かばなかったのかは分からない。ネパールに到着してから、天候の悪化でフライトが遅れ、計画の窓が狭まっていた。私たちの目標は、ライアンとリノが『Great Himalaya Trail(GHT)』の一部で最速記録(FKT)を樹立することだった。西から東へ、ヒマラヤとその麓を横断し、総距離1,400km、累積標高差70,000m以上を走破する計画だ。 二年前にライアンがこのアイデアを持ちかけたとき、私はすぐにロマンを感じた。『横断』と『ヒマラヤ』という言葉だけで、無数の映像と感情が頭に浮かんだ。人類の遊牧的な根源と、現代の定住生活に対する不安――それらは私の映像制作のテーマでもあり、ヒマラヤほどそれを体感できる場所はないと確信していた。困難は予想していたが、実現は可能だと信じていた。 氷の道と危機 ハイキングを始めて二日目、私たちはヒルサ村のすぐ下にいた。ここが出発点だった。目の前に広がる青い氷の帯は、緩やかな斜面で、1,000フィートの空中へと滑り落ちる危険な道だった。登山用具はなく、ランニングシューズと