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交差点:ボスニア・ヘルツェゴビナでの冒険と過去

はじめに

チェコ人ガイドのロレンツは、地図を手に少し戸惑いながらも、私たちの安全を第一に考えていました。標高1,896mのオバリ山頂で、暖かな日差しを浴びつつ、彼はインターネットで入手したボスニア・ヘルツェゴビナ(BiH)用ハイキングマップを広げました。

歴史的背景と地図の変遷

この地域の基本的なトレイルは、19世紀末にオーストリア=ハンガリー帝国が鉱山開発のために作成したものです。その後、ユーゴスラビア国防軍(JNA)が1:50,000と1:25,000の2種の地図を作成しましたが、戦争中に多くの地図が失われました。幸い、1:25,000の一部は民間サイトに流出し、ロレンツはそのコピーを持っていました。

地雷と安全対策

ロレンツは英語に切り替えて、ルコミル渓谷付近は橋が破壊されており、川を渡れない上に地雷が散在していると警告しました。JNAは専門的に地雷位置を記録していましたが、他の勢力はそうではなく、現在でも多くの地域で除去作業が続いています。現地の知識は必須です。

ボスニア・ヘルツェゴビナの多文化的側面

私自身はイギリス国籍で、父はクライナ・セルビア人です。大学院で国際刑事法を学び、紛争の歴史を研究しましたが、旅行計画の途中でグリーン・ビジョンズの担当者から連絡があり、初めてハイキングに挑むことになりました。東ローマ正教会の宣教師、フランシスコ会、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリーと、何世紀にもわたる宗教と商業の交差点であるこの地は、1990年代の紛争の背景を理解する上でも重要です。

ルコミルの村と人々の再生

標高1,496mに位置する半遊牧的なボスニア人の村、ルコミルに降り立つと、温かい笑顔と焼きたてのウシュティプチ(揚げドーナツ)が迎えてくれました。住民は戦後、荒廃した家屋と耕作地を再建し、かつての敵同士が互いに野菜やチーズを供給し合うようになっています。かつての対立は、バーでの語らいの中で次第に和らげられ、憎しみが新たな命を奪うことはなくなりつつあります。

自然と冒険:スチェスカ国立公園とマルチチ

スチェスカ国立公園は、標高2,386mのマルチチ山を含むボスニア最高峰で、原始的な原生林が広がります。第二次世界大戦のスチェスカの戦いの舞台でもあり、タラ川の渓谷は世界でも屈指の深さを誇ります。私たちはウグリェシン・ヴルフ山頂(1,859m)へ登り、モンテネグロ側の眺望とともに、松やモミの樹冠が作り出す神秘的な光景を堪能しました。

マルチチ登頂と激しい天候

マルチチへの登山は、クリスマスのような白い光が枝葉を照らす中で始まりました。途中、ケーブルが設置されたほぼヴィアフェラタ的な区間もあり、手を掛けて進む必要がありました。山頂付近で霧と雷雨が急変し、雷が30m先に落ちるほどの激しい嵐に見舞われました。防寒具とコアロフトのインサレーションが命を救い、やがて雨は止み、トルノヴァツコ湖近くの森で安全に下山できました。

感謝と締めくくり

サラエボのグリーン・ビジョンズのロレンツ・コナイガイドは、戦争の過去について率直に語り、私の旅を支えてくれました。ティエリー・ジュベール、USAID、Adventure Travel Associationにも感謝します。

トラベルノート
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