冒険の意味
はじめに
誰にもこの旅のことを語らず、写真も公開せず、体験をシェアしないとしたら、まだこの道を選び続けるだろうか――。足元を確かめながら、右側の数インチ先にある深い谷を避けて歩くとき、そんな疑問が頭の奥に浮かんだ。
低迷と自己問答
ハウテ・ルートを10日間歩き続け、最初の熱狂と新鮮さは薄れ、体は低調に陥っていた。ふくらはぎの裏側は一歩ごとに痛み、最初はハエに刺されたせいだと自分に言い聞かせたが、実際はひどい日焼けだった。太陽は重い炎のように体を押しつぶし、エネルギーを奪い、水の確保に執着させた。サングラス越しに見える青白い山岳の光は頭痛を誘い、食料は古びたパンとチーズだけ――2日後にガヴァーニに到着するまでの糧だった。
潜在意識が問いかけた。「なぜ大西洋から地中海へ、ピレネーの山頂を越えてハイキングしているのか? もし誰にも語れなければ、まだ続けるか?」最初は「はい」と答えるはずだったが、答えは出なかった。自分は単に自然の中で孤独を楽しみ、挑戦が好きだからだと考えていたが、実は「面白い記事を書きたかった」や「SNSで称賛されたい」など、自己顕示欲が混ざっているのではないかと疑問が湧いた。
ガヴァーニでの出会い
295km歩いた先にあるガヴァーニは、観光地でもあるトレイルタウンとして、まるで二つの世界の狭間にいるような不思議な雰囲気だった。マーモットのぬいぐるみやポストカードが溢れ、食料店は長距離ハイカー向けに十分な備蓄がない。そこで出会ったのは、カメラとドローン機材だけで4kgの超軽量パックを背負うアメリカ人のラリーだった。彼は自称インフルエンサーで、ハイキング中に赤ワインを水筒に注ぎながら、フォロワーが増えたことを自慢した。
「本当に感動した瞬間は?」と尋ねると、ラリーは「フォロワーが4000人増えたことだ」と答え、笑い合った。彼はRay Jardineの教えを熱心に語り、他のハイカーにパック重量を指摘することもあった。ラリーは自分の動機をはっきりと認識していたが、私もまた経験を書き残すことで注目や収入を得ようとしていた――結局は同じ欲求の裏側にあると感じた。
再び問いかける
数週間後、ハウテ・ルートの全長692kmを歩き終える頃、二つの根本的な質問が頭に戻ってきた。「なぜHRPを歩くのか?」そして「誰にも語れないとしたら、まだ続けるか?」答えは、心からの正直さと共にやってきた。
自分は確かに自分のために歩いていたが、インスピレーションは前例のハイカーやSNSで共有された体験から得ていた。孤独な体験だけでなく、他者と分かち合うことも旅の一部だった。もし誰も知らなければ、経験は貧しくなる――それでも歩くか? はい、でも共有があるからこそ、旅は豊かになる。
結論
ジョン・クラカウアーの『Into the Wild』で語られるクリストファー・マッカンドレスは「幸福は共有されて初めて本物になる」と書いた。私の旅も同じで、孤独と共有のバランスが冒険の意味を形作っている。











