火山とビキューナ:ボリビア高地サイクリング記
出発と山頂への挑戦
夕暮れ時、火山の斜面を自転車で登り続けた。何度カーブを曲がっても山頂は見えず、息が切れそうになるたびに『豊かさは苦闘と共にある』と呟いた。標高5,000メートルで酸素が足りず、軽度の高山病の症状を感じながらも、苦闘の箱にチェックを入れた気分だった。肩越しに振り返っても、相棒のマリオの姿はなかった。
忘れられた村での夜
前夜は、人口7人の忘れられた村の空き部屋で床に寝た。住民の6人は警官で、金髪の十代少女とボリビア人男性が自転車でやって来たことは、村にとって大きな出来事だった。警察署に招かれ、手作りのパンとコカ茶の甘い香りに包まれ、古いテレビからサッカーの音が流れる中、私たちの旅の話を聞かせてもらった。
マリオと私は、シンプルな生活に戻りたいという思いで出会った。マリオはキャリアの枠から抜け出したいと考え、私は探検生物学者としての自信とスキルを試したかった。ペルーの研究ステーションで掲示したサイクリングパートナー募集にマリオが応じ、2週間後に旅立った。
サハマ山とチュルパ
次に向かったのは、ボリビア最高峰の死火山・ネバド・サハマ。山は遠くに見えるが手が届かないニンジンのようで、私たちは何度も谷や氷河に足止めされた。生物学部の学生として、レアやビクーニャを追いかけ、岩の間でビスカチャを探すのに時間を費やした。
山を越えると、先住民アイマラ族の葬祭塔・チュルパが遠くに立ち並んでいた。カトリック以前は、部族長やその親族が胎児姿で埋葬されたという。インカが征服後に建てたと考えられ、壁画は保存されたインカ織物と似ている。
砂漠とウユニ塩湖
その後、砂と銅色の丘が続く荒涼とした風景へ。太陽の光と音・視覚刺激の欠如が、砂漠で人が狂う感覚を思い起こさせた。遠くからドラムとトランペットの音が聞こえ、丘の向こうで踊る女性たちと、赤いベルベットのジャケットを着た男性たちの祭りを目にした。ボリビア独立190周年を祝う行事で、ウィファラ旗が揺れ、スペイン語の音楽が鳴り響いた。
翌朝、マリオは早く出発したいと言い、私たちは次の目的地・ウユニ塩湖へ向かった。白い塩の平原は太陽を反射し、まぶしさで目が眩む。サングラスなしではすぐに失明しそうだった。広大な塩面はまるで雲の上を滑るようで、遠くの黒い点が何か分からず、方向感覚が狂った。やがて、サボテンが覆う岩の島・インカウアシにたどり着き、そこに住む老人が自家製の『ラブティー』を振る舞ってくれた。彼の洞窟の壁には、訪れた人々の短いメモが貼られていた。
アルティプラノの風と湖
アルティプラノの風は容赦がなく、砂嵐が日常となった。南へ進むほど、風景は黙示録的になったが、代わりに色とりどりのラグーンが点在し、フラミンゴが泳いでいた。湖畔の家に入り、ホストが出したクスクススープやガーリックブレッド、フランボワーズとパイナップルのデザートに心が温まった。暖炉の前でフラミンゴを眺めながら、久しぶりに熱いシャワーとベッドで眠る贅沢を味わった。
しかしキャンプ地は限られ、最後の夜は風が岩を彫り上げた奇岩の間でテントを張った。気温は-20℃を下回り、寝袋の中で何度も起きては腹筋運動をした。指先と足の先は凍り、翌月までしびれが残った。
最終夜と星空
二晩後、満天の星が湖面に映る中、私たちはミルキーウェイの下を歩いた。旅の終わりが近いことを実感し、翌日はアマゾン熱帯雨林へ向かう計画を立てた。




