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インド・カーベリ川を歩く旅

旅のはじまり

インドを横断する計画は、たった6週間の休暇をカレンダーに埋め込んだときに始まりました。三角形のような国土の南側を見て、時間内に渡り切れそうな緯度を選び、そこに流れる最も神聖な川、カーベリ川に出会いました。目的はシンプルです。東海岸のカーベリ川河口から出発し、山岳部の源流まで歩き、そこから西側の海へと降りる。

計画は最小限に抑えました。チェンナイへ飛び、河口へ行くバスは地元の人に尋ね、すぐに歩き始めたのです。冒険とは心構え。調査をしないことで毎日が新鮮で予測不能、そして刺激的になると考えました。食料や水、寝床はその都度探す。600マイル(約960km)を背負って歩くからこそ、荷物はできるだけ軽く。シンプルで純粋な体験を求めたのです。

カーベリ川との出会い

バスを降りたのはプームパールという村。灼熱の太陽が照りつけ、足元は砂の上。右手に広がるベンガル湾と、そこに流れ込むカーベリ川の光景は、言葉だけだった「カーベリ」が目の前に現れた瞬間でした。背中にリュックを背負い、熱い砂浜を歩き、波が寄せる音と海の匂いに包まれながら、川の口にたどり着きました。

朝の強い日差しの中、サングラス越しに眩しい光が頭を叩きました。川の水は濁っていましたが、足を浸すとひんやりとした感触が走ります。ヒンドゥー教徒の巡礼者が子どもを抱えて祈りを捧げる様子を目にし、私の胸は高鳴りました。

不安はありましたが、ただ「始める」ことが唯一の解決策でした。歩き出した瞬間、心は軽くなりました。

最初の一日

最初の夜は蚊帳の代わりに2ポンド(約900円)の安宿に宿泊。足は痛く、頭はずきずきしましたが、20マイル(約32km)歩いた後の達成感は格別です。旅は現実味を帯び、次への意欲が湧きました。

川沿いの風景と出会い

カーベリ川に平行する道沿いには、ヤシの屋根を持つ村々が広がり、緑豊かな田園風景が続きます。コンクリートの小さな屋台ではビスケットや炭酸飲料、石鹸などが売られ、サイクリストが荷台に鍋やタオル、新聞を積んで走り回ります。カラフルなキツツキやインコ、ミナミシロチョウが空を舞い、村では毎日のように葬儀や祭りが行われ、花々が道を彩ります。

数日が経つとリズムがつかめ、甘いバナナをかじりながら村の井戸で水を汲み、足の痛みも和らぎました。朝早く起きて涼しい時間帯に歩くことで、40度を超える暑さでも食事(タリ)をしっかり摂ることができました。インドの人々は常に話しかけてきて、出身や名前、バスに乗らない理由まで聞かれます。子どもたちが野原でクリケットを楽しむ姿に誘われ、何度も一緒にプレイし、笑い合いました。

チャイと語らう時間

村のチャイスタンドは交流の場。熱いミルクティーが大きなジャグで注がれ、客は新聞を読みながら私に旅の感想やイギリスの生活、インドへの印象を尋ねてきます。短い10分の休憩でも、地元の人々の温かさを感じることができました。

象との出会い

トリチュラパリに近づいたとき、街中を歩く象を目撃。写真を撮ろうとしたところ、象の飼い主に怒鳴られ、象の鼻で頭を叩かれました。恐怖と笑いが交錯した瞬間でしたが、カーネータカ州の森で野生の象の家族が川で水を飲む姿を見ると、自然の雄大さに心が癒されました。

寺院と祭り

トリチュラパリの壮大な寺院だけでなく、各村の小さな寺院も訪れました。石畳の中庭は日陰でひんやりとしたオアシス。バスやタクシーの外装にはガネーシャやラクシュミの像が描かれ、道端の祠はヒンドゥー神話の鮮やかな絵柄で飾られています。朝になると、女性たちがコラム(米粉で描く幾何学模様)を敷いて家の繁栄を祈ります。

毎日のように結婚式や祭礼に遭遇し、マリーゴールドの花輪やジャスミンの髪飾り、ドラムのリズムが街を包みます。意味は全て分からなくても、音楽と踊り、熱気に包まれる瞬間は格別です。

夜の祭りと花火

ある小さな町で宿を見つけ、バケツシャワーで汗を流し、米とスパイス野菜の夕食を取った後、突然大きな花火が鳴り響きました。カメラを手に外へ飛び出すと、粘土の壺を頭に乗せて踊る人々、肉のフックで吊るされた男性、頬に12フィートの金属スパイクを突き刺した巨人が現れ、子どもたちが笑いながら踊っていました。インドの祭りは予測不可能なほどにカラフルで、そこにいるだけで心が躍ります。

旅の終わりと感謝

5週間が過ぎ、塩で白くなったシャツと軽くなった体重。ついにカーベリ川の源、タラカベリ寺院に到達しました。西ガーツの霧に包まれた丘で、オレンジ色の僧侶が赤いハイビスカスの花が浮かぶ井戸の水で巡礼者に祝福を与える様子を見ました。そこから流れ出す水は、私が歩いた道を逆にたどり、田んぼを潤し、最初に足を踏み入れたプームパールの海へと注ぎます。

私はこの川に感謝します。新しい出会いと経験を導いてくれたこと、そして冒険は心の状態であり、探す意志さえあればどこにでもあることを教えてくれました。


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