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カン・テングリ単独登頂と英国最年少記録への挑戦

背景と目標

2014年7月から8月にかけて、私がこれまでに挑んだ中で最も過酷な挑戦に挑みました。目標は、標高7,010mの技術的に難しい高山カン・テングリを単独で登頂し、同時に英国人として最年少の7000m超単独登頂者になることです。当時22歳でした。記録だけを狙うのであれば、はるかに容易な山を選んでもよかったのですが、私にとって価値あることは決して楽ではないと信じています。

精神的な挑戦

単独遠征の最大の壁は精神面です。失敗したときに支援やバックアップが全くないことを常に意識しなければなりません。装備はすべて自分の背に背負い、足で道を切り開き、完全に自立する必要があります。単独登攀は誰にでも向くものではありませんが、私にとっては冒険の究極の挑戦です。

準備と移動

最初の大規模遠征は2010年のキルギスでした。イニルチェク氷河越しに金色に輝くカン・テングリの頂を見上げたとき、遠くに感じました。4年後、同じ場所に立ったときは鳥肌が立ち、再び挑戦できるチャンスに胸が高鳴りました。

ビシュケクから父と共に、イスィク・クル湖の岸辺を高速で走り、北東のカラコルへ向かい、廃坑町イニルチェクを通ってマイダ・アディルヘリポートへ向かいました。途中、国内で5機しかないMI‑8ヘリコプターのうち1機がカン・テングリ斜面で墜落したため、ヘリが遅延。これにより、標高4,000mの前線で数日間の順応を行う余裕ができました。

ベースキャンプからキャンプI・II

ベースキャンプ(4,100m)に到着後、翌日キャンプI(約4,700m)へ向かいました。乾いた氷河とモレーンを横切り、チャパイエフ北壁を登ってリッジ上にテントを設置。食料とガス、装備を合わせて25〜30kgの荷物を自力で運びました。

次の日はキャンプII(5,600m)へ。リッジに沿って直上に上がり、岩段が垂直に近くなる区間もありました。ここで初めて、毎歩が確実に前進している実感を得ました。天候が極めて悪化することが予想されたため、キャンプIIで順応し、ベースキャンプに戻って休息を取る計画を立てました。

キャンプIIIと天候の変化

キャンプIIでの滞在は1泊に短縮。強風・低温・降雪が続く予報が出たため、すぐに下山しました。ティエンシャン山脈は変わりやすい天候で有名ですが、今回は特に過酷で、キャンプIII(約6,000m)付近では毎日強風と極低温が予測されました。唯一の窓口は、風が弱く大量の降雪が続く数日間でした。

ポーランドの登山家、クシシュトフ・ヴィエリツキの助言を受け、風が弱く雪が降り続く24時間のウィンドウを狙ってキャンプIIIへ向かうことに決めました。

撤退の決断

キャンプIIIに到達した直後、天候は急激に悪化。視界は急激に低下し、降雪が激しくなりました。翌朝も天候は回復せず、キャンプIIIでの補給は2日分しかありませんでした。雪崩や閉じ込めのリスクが高まる中、私は安全を最優先し、キャンプIIIを撤収してチャパイエフ北峰(6,095m)を経由しベースキャンプへ下山することを選びました。

下山中、父が笑顔で迎えてくれた瞬間は何よりの安堵でした。その夜、南壁でクレジミール・ミラスが雪崩に巻き込まれ死亡したという悲報が届き、山の危険性を改めて実感しました。

帰還と振り返り

最終的にカン・テングリの頂上には到達できませんでしたが、単独で挑んだ経験は私にとって大きな学びとなりました。ヴィエリツキの言葉「天候は移り変わるが、山は永遠にそこにある」を胸に、次なる挑戦へと歩みを進めています。

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トラベルノート
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  • ホワイトライン

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