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野生への最後の呼びかけ

エドマンドがやっと姿を現した瞬間、胸が高鳴った。数時間の別れだけだったが、疲れと渇きに苛まれ、最後に見たときは逆さまの筏に乗って激流へと突っ込んでいた。

下流で岩に挟まっているか、顔を下に向けて漂っているかと想像していたので、彼が川の向こう側で必死に手を振っているのを見ると、ほっとした。生きている。

カラコルム山脈、パキスタン北部の楽園

ここはカラコルム山脈。世界で最も多くの8000メートル級峰が集中し、手付かずの白水が流れる場所だ。山と激流が好きなら、ここ以上の楽園はないだろう。

道路建設とその影響

1970年代に建設されたカラコルム・ハイウェイは、近年中国の「一帯一路」構想の下で大規模投資が行われた。古代シルクロードと同じルートをたどり、パキスタン最貧地域の経済成長を期待させるが、同時に環境破壊と伝統文化の変容というリスクも孕んでいる。

ラフティングで見る社会変動

私たちはこの変化を体感すべく、ゆっくりと川を下りながら、自然と人々の姿を観察することにした。川岸でエドマンドの周りに10人のパキスタン警官が集まっているのを見て、まさに現代パキスタンの姿が垣間見えると感じた。

野生への最後の呼びかけ 野生への最後の呼びかけ

許可取得と出発

この地域でのトレッキングには許可が必要だが、ラフティングまで同様の許可が必要かは不明だった。商業ラフティングは20km区間だけで、全谷を下る試みはほとんどなかった。地元当局と4日間交渉し、全長を挑戦できると認めてもらった。

パックラフト(1人用テントサイズに折りたためる小型インフレボート)に1か月分の装備を詰め、食料と水は最小限に抑えた。パキスタン側最後の町ソストで、警官の小隊が出迎えてくれ、セルフィーや集合写真を撮りながら、私たちは装備を筏に結びつけた。

急流への挑戦

2年ぶりのラフティングだった。筏がメインチャンネルに入ると、すぐに激流に流され、まるで嵐の排水口に投げ込まれたピンポン球のようだった。エドマンドは笑顔で氷河水が船首を打つのを楽しみ、私はカメラやキャンプ用品が足元で揺れるのを必死に抑えつつ、観客の歓声とブーイングに耐えた。

川岸からはカラコルム・ハイウェイが50mほど離れた位置を走り、車やバイク、トラックが行き交う様子が見える。右手にはシルクロードの跡が崖に刻まれ、周囲は標高6000mの氷峰が夕陽を浴びて輝いていた。夜は川のカーブにある砂礫の土手にテントを張り、ハンザ川の轟音で眠りについた。

季節の変わり目と増す水量

翌朝、谷がまだ影に覆われる中で出発した。現地の人々は、夏に向かうにつれ氷河と雪解け水が増え、数週間後には航行不可能な急流になると警告した。筏はスプレーデッキがなくても荷物の重さで安定し、波を次々に乗り越えていった。

狭い区間では100mごとに筏を降りて先行探索を行い、数時間で予想以上に進んだ。昼食後、エドマンドが「調べに行く?」と聞き、私は「大丈夫、問題なさそうだ」と軽く流した。

野生への最後の呼びかけ 野生への最後の呼びかけ

事故と救出

数十メートル先で仲間のジョンが筏から投げ出された。私は遠くから見て原因が分からず、ただの不手際かと考えていた。水は穏やかに見えたが、私が追いかけると、岩の間に隠れた急流に巻き込まれ、氷水が胸に突き刺さった。筏から投げ出され、左手でパドルを掴み、右手で逆さまの筏の側面を必死に掴んだが、流れに逆らえず、80メートルほど漂ってやっと岸にたどり着いた。

ジョンは無事に筏に戻り岸へ向かったが、私たちはパニック状態で別の筏を奪い合い、さらに別の急流で再び投げ出された。結局、全ての筏と装備、そしてジョンさえも失った。

絶望の中、川を渡って通りかかったバイクに乗った男性に助けを求めた。そこには警察のバンがあり、すでに捜索隊を編成していた。1時間後、警官がジョンを見つけて近くの村へ連れて行く様子を見て、ほっとした。

パキスタン警察と意外な温かさ

パキスタンの警察や情報機関(ISI)は恐れられる存在で、過去30年にわたりタリバン支援や拷問疑惑などで国際的に批判されてきた。私たちも出発前に警察が追跡し、取材を妨げると警告されていた。

しかし、現場に来たのは英語が堪能で礼儀正しい警官たち。私とジョンの写真と個人情報を見せた後、抱きしめるほどの歓迎を受け、警察署へ案内された。そこではケーキと紅茶が出され、失われた筏とバッグを探す作戦会議が開かれた。

夜になると全警官が捜索に動員され、夕暮れまでに1つの筏と5つのバッグを回収したが、もう1つの筏とカメラバッグはまだ流れの中にあった。

地元の助け合い

レストランで疲れ切った私たちに、若者たちが「ラフターですか?」と声をかけ、スカウトクラブのメンバーだと自己紹介した。Facebookで話題になった私たちの事故に、彼らは自発的に車と協力を提供してくれた。

その後も、校長が生徒を集めて捜索に参加し、記者が情報を拡散するなど、地域全体が手を差し伸べてくれた。翌日、30km下流の砂礫の土手で筏は無事に見つかったが、カメラバッグは行方不明のまま。

パキスタンの別側面

9/11以降、外国人観光客は激減し、パキスタンは危険地帯というイメージが根強い。しかし、私たちが体験したギルギット・バルティスタンは歓迎的で寛容、冒険旅行者にとっては楽園だ。

しかし、改善されたカラコルム・ハイウェイにより国内観光客が殺到し、宿泊施設やカフェが次々と建設されている。経済成長の裏で環境への負荷が急増しているのは事実だ。

道路の整備が野生の最後の呼びかけになるかはまだ分からない。少なくとも、今のところ川は変わらず荒々しく流れ続けている。

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