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ローマへ、古くからの友人へ

はじめに

ローマ、パリ、ロンドンは旅行者の夢の目的地です。しかし、私にとっては違いました。子供の頃にヨーロッパを旅した経験から、これらの都市は「行ったことがある」カテゴリに入っていました。現在は仕事で年に数回ヨーロッパに行くことがあり、ローマで乗り継ぎをすることも多いですが、立ち止まることはほとんどありませんでした。エッフェル塔は7歳のときに登り、ロンドン塔もチェック済み、コロッセオはもちろんです…でも、実際に何を覚えているのでしょうか?最近、子供の頃のローマの感動だけでは足りないと感じ、再び発見の喜びを取り戻せないかと考えました。

1日目

次にローマで乗り継ぎがあると聞くと、すぐにチャンスだと思い、古くからの友人に数日滞在を誘ってもらいました。10月下旬の暖かい日、屋外カフェにぴったりの天気でした。

ローマへ、古くからの友人へ

昼食前にテーブルに座っていると、手にしたのは懐かしいファンタのオレンジソーダでした。子供の頃、スパゲッティとオレンジソーダは私の定番コンビでした。ですが、食べたのは完璧なピザで、スパゲッティではありませんでした。

昼食後、スペイン階段へ向かいました。そこは観光客で溢れ、英語・フランス語・ドイツ語・日本語など様々な言語が飛び交う光景でした。みんなが溶けかけたジェラートのコーンを持ち、階段や噴水の周りに人が群がっていました。

主要観光スポットを巡る計画を立てていましたが、観光客の波に飲み込まれ、エネルギーが奪われてしまいました。友人が迎えに来たとき、計画のほとんどが実行できていないことに驚かれました。ローマに失望したことを正直に言えなかったのです。

2日目

昼食後、徒歩で壮大なナヴォーナ広場へ向かいました。広場は観光客で埋め尽くされ、ツアーガイドが色とりどりの棒を持って人混みをかき分けていました。広場の中央には「アーティスト」たちが安っぽい作品を並べ、観光客の財布を狙っていました。ベルニーニの噴水に気付くことすらできませんでした。

ローマへ、古くからの友人へ
観光客の中に隠れたスペイン階段。

ローマへ、古くからの友人へ
観光客向けの安っぽい商品。

広場を出ると、土産物店が並ぶ観光ルートが続きました。カレンダーにはイタリア料理やローマの猫が描かれていました。子供の頃、コロッセオで野良猫の大群を見た記憶が強く残っています。

ローマへ、古くからの友人へ

やがて角を曲がると、トレビの泉が姿を現しました。青い水面から白い大理石の像が立ち上がり、息を呑むほどの美しさでした。観光客が少なくなったタイミングで、泉の縁に近づきその壮大さを体感できました。コインを3枚だけ持っていたので、思い切り投げ入れました。

最後の目的地はコロッセオ。閉館時間の5時30分頃に到着し、すぐに中へ入りました。外は車の往来が激しい通りですが、内部は静かで、半月が廃墟の壁に映えていました。

私は急ぎ足で遺跡を見渡しながら、夜の誕生日ディナーのことを考えていました。観光客は家族連れやカップルで賑わっていましたが、私は一人でした。子供の頃のような興奮は薄れ、誰かと共有できない寂しさがありました。

ローマへ、古くからの友人へ

階段は急で石段は不均一でした。大規模な修復が計画されていると聞きますが、イタリア人はいつも話し続けます。夕暮れが迫る中、私は自問しました。「これが最後のローマか?」と。

そのとき、黒く光沢のある猫が観光客の間をすり抜けて現れ、柱に飛び乗ってポーズをとりました。まるでローマの神が私に求めていたもの—猫—を届けてくれたかのようでした。飼い猫のように健康で、人に慣れている姿に心が和みました。周囲の柱頭や壁、アーチの細部に目を向け、改めてローマの美しさを感じました。猫と神に感謝し、再び自分自身を取り戻したように思いました。


トラベルノート
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